計算の定義を求めないことには使用可能な道具はわからない。
計算についての私論を述べてみる。
計算とはあるものごとを目的の形に変えることだと考える。
数学でいえば、所属する体を明らかにする過程である。
また、関数について、ある変数に着目して等式をたてることもその変数の体を変数を用いて明らかにする計算である。
論述でいえば、自らの考えを整理して伝えたいことを的確に表現する過程である。これは直感的な思考や感情にも働き、無意識のうち反射的に変換される。
その他の行為についても同様に考えると、計算とは言い換えれば表現の変換であると考えられる。また、私達の知覚が受動的にいつも働いていることを考慮すれば、私達は体内外の至る所で計算を行っていることになる。
前述したとおり私論に基づく結論であるが、表現、即ち何か刺激は体内外の至る所で起こっているため、我々は恒常性の維持、及び意思が介在する場合は何らかの結果を求めて多数の計算が生まれている。
方程式から未知数を求めることが一般的な計算のもつ意味だと考えると、