談話で改めて国の方針をまとめて確認するんじゃないの
新しいことぶち上げるようなものじゃないでしょ
「過去の談話と同じことなら談話を出す必要がない」なら
談話の発表自体が「 歴代内閣の歴史認識を引き継いでいくと言っている以上、書く必要はない」ってなるじゃん
談話で改めて国の方針をまとめて確認するんじゃないの
新しいことぶち上げるようなものじゃないでしょ
「過去の談話と同じことなら談話を出す必要がない」なら
談話の発表自体が「 歴代内閣の歴史認識を引き継いでいくと言っている以上、書く必要はない」ってなるじゃん
>>6
netの方では選挙前になると現れるドッチョンコ静岡がまた頑張ってるんだろうか
>>10
↓ ほんとこれ
アッキーが証言! ヤジ問題で謝らない安倍首相は家庭でも「ごめん」と謝ったことがない!
http://lite-ra.com/2015/02/post-894-entry.html
そして、思わず「なるほど」と膝を打ってしまうのは、“意見 が対立すれば、お互いの齟齬をなんとなく
うやむやにし、忘れてしまう”という点だろう。
これは決して家庭だけの話ではない。
第一安倍内閣でも、辞任会見では「なかなか国民の支持、 信頼の上において
力強く政策を前に進めていくことは困難な状況である」と、よくわからない理由でお茶を濁し、
再びひょっこり首相になると、前回の辞任理由を体調問題にすり替えていた。
だいたい先の総選挙を行った理由も、安倍首相はもにょもにょと理由付けしたが、
その明確な意図はうやむやにしたまま だった。
不都合な話は曖昧にし、そして絶対に謝らない──。
この昭恵夫人の告白は、じつに安倍晋三という人間を理解する上で示唆に富んでいる。
とくに安倍首相は、これまで個人的願望と現実的政策を混同してきた。
おそらく、安倍首相は弱腰という言葉を非常に嫌うマッチョ思考で、
謝ることに潜在的抵抗があるのだろう、ということがよくわかる。
もしかしたら、安倍首相が国際社会からあれだけ批判を受けながら、先の侵略戦争や
従軍慰安婦問題への謝罪をはっきりと表明しないのも、その歴史観だけでなく、
この謝りたくない体質にも起因しているのではないか、とも思えてくる。