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今でこそ、年間500人近くの大卒を採用する当社だが、創業期は本当に苦しんだ。
1975年(昭和50年)に第1期生として7人採用した。
「甘やかすと、経営が安定しない」と思い、厳しいスパルタ教育を施した。
週に1回の休みも工場見学、しかも過重労働に低賃金。
当たり前だが7人全員辞めてしまった。このため75年入社組は「幻の第1期生」と呼んでいる。
おかげで今で言う「ブラック企業」のようなレッテルを貼られてしまった。
さすがに週に1回は休みにして、100時間あった残業時間を半分ぐらいにした。
実質的な1期生は76年入社組だ。その前年に母校の北海学園大学に募集の貼り紙を出し、見に行ったところ、誰も見ていない。
そこで学生の集まる場所へ行き、「どんぶり2杯を食わせるから、話を聞いてくれないか」と声を掛け回った。食べている15~20分間に会社の説明をし、入社を促す。
ちょうど米国視察して間もない頃であり、米国の流通事情も説明した。
関心を示した学生は「では今は何店舗ですか」と聞いてくるが、このときはまだ4店で売上高も4億円程度だ。
それでも「いずれ100店を作り、売上高を100億円にする」と大風呂敷を広げ、ロマンとビジョンを熱く語った。
すると触発された学生が12人入社した。
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO85812400X10C15A4BC8000/