弾痕が消えた後も、あの日何が起きたのかを語り合う場をつくる。追悼施設の設計コンペで最優秀賞を受賞したのは、島を切り取り、人工的に「塞がらない傷口」をつくるというアイデアだった。発案者、ヨナス・ダルバーグは事件のあったウトヤ島で何を見て、何を感じたのか。
以下ソース
http://wired.jp/2015/03/28/norway-tragedy-jonas-dahlberg-design/
ノルウェー連続テロ事件
http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E9%80%A3%E7%B6%9A%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
2011年7月22日、ノルウェーの首都オスロ政府庁舎 (Regjeringskvartalet) 爆破事件とウトヤ島銃乱射事件が連続して発生した[3]。
政府庁舎爆破事件により8人、銃乱射事件により69人がそれぞれ死亡しており[3]、両事件で77人が死亡[4]。ノルウェー国内において第二次世界大戦以降の最悪の惨事とされている[5]。
ウトヤ島銃乱射
オスロ近郊にあるウトヤ島ではノルウェー労働党青年部の集会が行われ、10代の青年約700人が参加していた[21]。
政府庁舎爆破事件直後にブレイビクはタクシーでウトヤ島の近くまで行った後に警察官の制服を着てボートで島に上陸し、爆破テロ捜査を口実に参加者を整列させ[25]、午後5時頃(日本時間23日午前0時頃)より銃を乱射した[29]。
ブレイビクは確実に殺せるよう各人に2発ずつ撃ち込んで殺していった[30]。島にいた青年たちは乱射事件から逃れるために島から泳いで脱出する者もいた[6]。