が問題となるときを土岐氏あめが下しるを天下を治めると読み替え光秀の野望を示すものとされてきたしかしこの解釈には無理がある普通に読めば時は今雨が降る五月という意味だ作者は秀吉の側近と考えられている光秀を悪役にするための創作の可能性が高い謀反の計画を連歌で暗示するなど現実的ではない秘密を守るべき謀反でなぜ多くの人前で意図を漏らすのか光秀の事後行動を見ても野望説は成り立たない信長を討った後の光秀の動きは後手後手に回っている天下を取る準備が全くできていなかったまず重要な同盟者の確保に失敗政権構想も全く見えてこない戦国時代の権力掌握には朝廷や幕府からの権威が必要だが光秀はそうした準備を一切していない兵力の準備も不十分だった動員できたのは1万3000人程度この程度の兵力で天下を狙うのは無謀だ信長の遺体を確保できなかったのも致命的だ首を取れなければ信長の死を証明できないこれでは武将たちを納得させられない山崎の戦いでの敗北も当然の結果だ準備不足の光秀軍に勝ち目はなかったわずか11日間で天下の夢は潰えた野望説のもう一つの問題は時期的な矛盾である天下を狙うならなぜこのタイミングなのか信長の勢力が最も強くなった時期に謀反を起こすのは不合理だ野望を抱くならもっと早い時期に行動すべきだったこれらの証拠から野望説も成り立たない光秀には天下をとる意思も準備もなかった光秀の個人的動機が否定されると次に浮上したのが黒幕説である光秀は従犯に過ぎず真の主犯が別にいるという考え方だ様々な人物が候補に挙がったしかしこれらの説も詳しく検証すると矛盾だらけである秀吉黒幕説を検証する本能寺の変で最も得をしたのは確かに秀吉だった大返しの神業的な素早さも計画的だったのではという疑念を招くしかしこの説には致命的な欠陥がある秀吉は毛利と対峙もし光秀と共謀していたならなぜそれほど深く敵地に入り込んだのか事前に計画していたならもっと安全な場所に布陣していたはず信長の死を知った毛利が追撃していれば秀吉軍は全滅していたそのリスクを承知で共謀するのは非現実的だ秀吉の成功は運と機転によるもの毛利との和睦も偶然の産物家康黒幕説も破綻している家康は堺に滞在していた事件後の伊賀越えは家康の無関係を示しているもし家康が事前に計画を知っていたならなぜあれほど危険な逃亡を強いられたのか少人数で山を逃げ回る必要はなかった事前に安全なルートを確保していたはずこれらの黒幕説に共通する問題はどの説も