の政策で重要なのがミラノ勅令ですキリスト教はディオクレティアヌスの時代から迫害の対象とされていましたがキリスト教徒は少しずつ増えていきましたコンスタンティヌスは治安をより良くするためミラノ勅令を出してキリスト教の公認を行ったのですその後コンスタンティヌスは死亡すると再び混乱の時期に突入することになりますしかしテオドシウスという人物が皇帝の座につくと再びローマ帝国はまとまることになりましたこの時ローマ帝国で宗教上の混乱が起きていましたその原因はキリスト教を公認したことにありますキリスト教の教義はまだ定まっておらずさらに他の宗教も存在していたためかえって混乱が生じてしまっていたのですそこでテオドシウスは異教を禁止してキリスト教をローマ帝国の国教としましたこれ以降ローマ帝国ではもちろんそれ以外の国家にもどんどんキリスト教が渡っていき巨大な力を持つ宗教に変貌していくことになりますテオドシウスの死後ローマ帝国は大きくなりすぎていたため東西に分かれることになります二つに分裂したローマ帝国は西ローマ帝国東ローマ帝国と呼ばれるようになり西ローマ帝国は分裂後100年も経たずにゲルマン民族によって滅ぼされることになります一方東ローマ帝国はビザンツ帝国とも呼ばれ分裂後も巨大国家として存在することになりますしかし分裂から約800年が経つと大きく衰退していくことになりますそして14世紀にビザンツ帝国の近くにオスマン帝国が誕生すると1453年についにオスマン帝国の侵略により滅亡することになりましたこうしてロムルスの建国から約2000年間続いたローマ帝国の歴史は終わりを告げることになりました