るがそれ以外は多くの先人たちの成果によっているまた友人のジャーナリストや協力者が提供した取材メモの活用もあるいずれにしてもそれらをジグソーパズルと同じように再構築して全体像として1枚の絵にしたものであるだから生命体である日本社会の解剖図鑑としてその健康状態の観察と診断を試みたものと思っていただければよく現代日本の覗きカラクリとして見てもらえれば有難い気鋭のカナダ人ジャーナリストのベンジャミンは日本政府の失政によって失われた十数年を総括したうえで日本の現状を泥棒国家の完成であると分析し将来を展望して日本がアルゼンチシタンゴを踊る日を日本人に突きつけたしかし腰の定まらない日本のジャーナリストや学者の多くは今も地元にいながら惰眠をむさぼっているのでベンジャミンの3部作を乗り越える警世の書を生み出していないそこで本書がさらなる挑戦として今の日本の閉塞感とともに小泉流の狂気が横行する現状に風穴を開け得たらと願うばかりである私はすでに何冊か日本の診断書を書いてきたがそこに書いてきたのはバブル時代から長期的な大不況に至るまでの日本がどんな病歴をたどったかであった現在の病状を正しく理解するためには過去の経緯がどうしても必要になるそこでここでは歴史を少々さかのぼっておきたい戦後日本蹉跌は田中角栄内閣の時代に始まったと言えるそれは日本の上海化という現象に象徴されていたがその点に気づいた日本人はいたって少なかった日本はまだまだ発展し続けるという気分に包まれジャパンアズナンバーワンと題した軽薄な本に浮かれ立ち日本人が得意満面になった時代が続いていた今となっては懐かしい時代だったと言えるがロッキード事件で日本が騒然としていた頃の日本はジャーナリズムはまだ批判精神を持っていた国会では討論をはじめまともな質疑や真相追及が行われ日本は法治国家としての体裁を保っており学生は本を読み国民の瞳は輝き胸には希望があったしかし1980年代は世紀末の幕開けを告げる時代になり日本は財テクという言葉につられた金儲け熱に包まれ日本人が次第に驕慢な態度をとるようになった謙虚さと誠実さが価値の基準から遠ざかり表と裏の世界の交替が顕在化することになった中曽根康弘から竹下登にかけての政権が支配した時代は日本はエネルギーを放蕩したが旺盛な体力の蓄積はまだ十分に残っていただから破局の始まりは苦痛を伴ったがバブル崩壊の衝撃は大き