壊される日本3
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(1)伏線1(日本)長期間にわたる異常な通貨供給量の増加これ程の長期間にわたって通貨供給量を連続的に増加させることは世界史上稀にみる異常なことであるこの政策は経済学者ミルトンフリードマンの理論を実行したものと言われているが欧米で実際にこの理論を実行した国はない①1974年12月:日銀総裁が佐々木直から森永貞一郎に交替するとともに通貨供給量を増加させる方向に基本的政策の転換がなされた②1975年7月:日銀調査局の名前で日本におけるマネーサプライの重要性という論文が公表されたこれは日銀の一大政策転換の表明であった③1975年から1989年にわたり通貨供給量が一貫して増加されたこの結果1985年より名目GNPに対する通貨供給量を示す指数であるマーシャルKは1.0を超えることになったこれは経済が実態経済を離れバブルが創出されることを意味する当時の金融緩和政策の責任者は大蔵次官から日銀総裁になった澄田智である彼は後にフランスの巨大銀行ラザールフレールの特別顧問となったこの巨大銀行はかの勢力の牙城の一つである(2)伏線2レーガンの金融自由化とその帰結(1981年~1986年)日本のバブル崩壊の直前に米国で同様のことが起こっているこれは日本のバブル崩壊のモデルであった自由競争の名のもとに競争を激化させ弱小金融機関を自己崩壊させ富の集中が図られた順を追って記述してみよう①金融自由化への政策変更(1981年)②バブル発生異常な建設不動産ブーム③石油価格暴落による逆石油ショク④急激な景気後退不況⑤大量の失業者不良資産急増⑥弱小金融資産の危機米国産業の弱体化(3)バブル崩壊の実行(日本)②④⑤が最重要ポイント①1983年11月:レーガン大統領訪日中曽根康弘首相に金融自由化を迫る当時の大蔵大臣は竹下登②1983年11月:為替取引における実需原則の撤廃を1984年4月に実施すると発表国際的で巨大なマネーゲーム流動という狼が日本に解き放されたのである市場が実体経済と遊離した仮需に脅かされ支配されることになったかの勢力が世界の仮需と実需(実体)経済の双方を牛耳っていることを考えるとこの政策転換の重要性が分かる③1984年4月:円建て外債発行ルールを緩和この政策により企業は実需に要する資金を金融機関を介さずに資本市場から調達できることになったこれにより金融機関の融資は一層実需から遊離していく④1984年6月:円転換規制を撤廃これにより巨大なマネ