ズムであれば想像するのは難しくはない真の救済が終末の後に置かれるとするしかし終末の後の救済はほんとうの救済であろうか終末時の審判によって救済の可否が決定されるということは言い換えれば地上においては救済されないということである救済を真にありがたみのあるものに呪いを真に恐ろしいものにするためには決定する終末を真の終末の前に起き地上の時間に組み込まなくてはならないこうして終末が二段構えになるような教義つまり千年王国論が編み出されることになったのではないかここで千年王国論を紹介したのはなぜこのような一見冗長な教義が生まれたのかを考察するためではないキリスト教がアメリカへと移植されたとき千年王国論に顕著な変化が生ずるこれがここでの主題であるどこに変化が生じたのかキリスト再臨のタイミングである普通の千年王国論ではキリストが降臨し背信的な輩を撃破することで千年王国が始まるつまり千年王国が実現する前にキリストはやってくる千年王国はキリストによって統治されることになっているのだから当然のことであるところがアメリカに入植したキリスト教徒で主流になった千年王国論ではそうではないキリストは千年王国という黄金時代に入りそれが繁栄の頂点に達した頃に再臨するアメリカで一般化したヴァージョンでは千年王国の実現のあとにキリストが到来するだからこれを後千年王国主義と呼ぶこれとの対比で通常の千年王国論は前千年王国主義と呼ばれているキリストがやってくるタイミングが違うから何だというのかこの違いは宇宙論の決定的な相違を反映している通常の千年王国論つまり前千年王国主義では千年王国をもたらすのは人間ではなくキリストである千年王国の実現は人間の主体的努力や意志とは関係がないキリストが人間の求めとは関係なく勝手にやってきてアンチキリストを倒すのである彼らは千年王国を建設する真の主体はキリストであると考えており自分たちはそれを補佐する協力者に過ぎないと見なしていただが後千年王国主義では事情はまったく異なっている人間が自分自身で主体的に千年王国を実現しなくてはならない言い換えれば千年王国は人間の決断と努力によって建設可能だと見なされていることになるこの事実と相関して歴史的な時間の感覚が前千年王国主義と後千年王国主義ではまったく異なってくる前千年王国主義においてはキリストが突如として超越的な場所から到来するのでこの瞬間に時間に質的な断絶が生ずるそれに対して後千年王国主