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キリスト教では終末における救済と呪いである人間の行為が神の国における永遠の生あるいは地獄での永遠の責苦として描かれるキリスト教には地上における救済を説く教義が千年王国論である内容はおおむね次のようなイメジされているまず信仰者に聖霊が降り注ぐこれこそキリスト再臨の予兆であるこれとともに背信の徒不信心者異教徒の迫害や攻撃は激しいものになる地獄と見まごうばかりの悲惨な状況になるこのあと預言者が現れいつどこに来臨するかを告知するこれで信仰者は来臨が切迫しているのを知り迫害をものともせず来臨の場所へと向かうついにキリストが降りてくるキリストはアンチキリストに率いられた不信心者の軍団を撃滅するこのあとが千年王国の時代であるキリストが信者と統治する王国が出現する重要なことはこれが地上の王国だということだソロモン王の宮殿よりも麗しくライオンが人を食わず草を食し子どもを背に乗せて戯れるとその様子が記述されているこの状況は千年間続くしかし楽園の千年が経過した後に地獄に拘束されていた悪魔が封印を解いて復活するキリストはこれを返り討ちにして悪魔を葬り去るこの後に最後の審判がなされるこれまで地上に生きたすべての人が復活し神が主宰する法廷で救済か呪いかの判定を受けるのであるこれが千年王国論が描く基本的なプロットである千年王国の到来とは終末に先立つ終末であるほんとうの終末の前に暫定的な終末がやってくるのだ千年王国は先取りされた神の国考えようによっては神の国のまがい物である通常の千年王国論つまり前千年王国主義では千年王国をもたらすのは人間ではなくキリストである千年王国の実現は人間の主体的努力や意志とは関係がないキリストが人間とは関係なく勝手にやってきてアンチキリストを倒すのであるだが後千年王国主義では事情はまったく異なっている人間が自分自身で主体的に千年王国を実現しなくてはならない言い換えれば千年王国は人間の決断と努力によって建設可能だと見なされている歴史的な時間の感覚が前千年王国主義と後千年王国主義ではまったく異なってくる前千年王国主義においてはキリストが突如として超越的な場所から到来するのでこの瞬間に時間に断絶が生ずるそれに対して後千年王国主義では地上における人間の継続的な努力の産物として漸次的に千年王国は建設されるのだから歴史的な時間に断絶が入るわけではないところでわれわれの問いは苦難の神義論の極点から幸福の神義論の極点への圧倒的な反転が生じたのはどうしてなのかであった千年王国論における変化はこうした反転の兆候と解釈することができるだろう後千年王国主義は通常の千年王国主義よりも幸福の神義論に親和的だからだ後千年王国主義は千年王国というユトピア的な時代が人間の意志や努力の結果としてつまりそれらのものへの報酬としてもたらされうるということを前提にしているからだ
あんちきりすと
さのすすむ
ちまちま
おおつかあきお
あだちこうじ
かわべはるよし
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