悲劇の兆候はまず博士を買収することから始まりました1934年には米国医師会の株式をすべて所有していたフィッシュベイン氏が博士の治療法の独占権を渡すよう要求しましたしかし博士はそれを断ったのですフィッシュベイン氏は過去にもがんの薬草治療を開発した博士を押さえこむために圧力をかけたことがありますフィッシュベイン氏は強力な政治的影響力を行使して16カ月に125回も逮捕させたのです全ての罪状は無免許での医療行為であり裁判では訴追を免れましたがこの度重なる嫌がらせのおかげで精神的に追い詰められましたフィッシュベイン氏はアメリカ医学協会の会長でありアメリカ医学協会誌の主任編集員でもありながら生涯一度も患者を診たことがありませんでした彼は命を救うことよりも金銭と権力への飽くなき欲望に意欲をもやす人物でしたフィッシュベイン氏は博士に対して同様の作戦を用いることは裏目に出ると考えたため無免許での医療行為と称して逮捕されませんでしたというのはもしそのように疑惑をねつ造して逮捕させてから裁判に持ち込んでも博士と研究をともにしていた著名な医療関係者たちが博士を弁護する証言台に立つことになりますそうなると当然弁護側は1934年の病院での臨床試験を持ち出してきます医薬品業界が一番恐れているのはこの痛みも費用もかからずに末期がんを100%完治させてしまう治療法の存在が明るみに出てしまうことなのですそれに付け加え博士は長年の研究内容の全てを詳細にいたりフィルムや写真に収めていますこれ以上の明確な証拠はありませんだからまったく別の方法で潰されたのですまず博士の研究所からフィルムや写真や研究書類の多くが盗まれましたしかし容疑者が逮捕されることはありませんでしたこれによって博士も窮地に立たされましたというのはコンピューターがなかった時代にこれらのデータを復元することは大変なことだからですさらに博士の貴重な顕微鏡は何者かによって破壊され部品が盗まれましたそして最後にとどめを刺したのは警察による令状なしの捜索と違法な没収ですこれにより50年に渡る博士の研究の残骸もすべて処分されてしまったのです同時に博士を擁護した医者たちもすべて研究費の支給が打ち切られ職場を追われることになりました博士の研究を抹殺するにはいっさいお金に糸目をつけなかったのですなぜかといえば日本を例にするとがんの先進医療に対し一人当たり平均して約300万円(自己負担金額)も費用がかかりますつまり膨大な利益を生む一大産業なのですまた製薬企業からの資金で出版され米国医師会によって牛耳られている医学雑誌は博士の治療についてどんな形であれ掲載することを禁じていますそのため医学生は大学で勉強中も就職後も博士の医学上の大発見について全く知る機会もないのです博士の生きた時代はまさに文明が急速に進化していった時です馬から自動車そして飛行機へとライフ博士は1905年にアメリカ人の24人に1人ががんにかかっていた時代から亡くなる1971年にはそれが3人に1人の割合まで急速に増えていく様をみつめていたのでした1971年博士は精神安定剤とアルコールの過剰摂取により帰らぬ人となりました83歳でした博士は自身の発明した治療器の特殊な光の照射を浴び続けていたためアルコールの乱用にもかかわらずこれほど長生きできたといわれていますもちろんこのように革新的治療法がはたして実際に存在するのか否かを最終的に判断するには自分で試してみるしかありませんなぜなら公的な医療関係の資料の多くはすべて粉飾された二重盲検法によるものばかりでその研究はあらかじめ出資企業の望む結果を出すように仕組まれているのですただひ