悩みにはさまざまあると思うが、悩んで解決することはほぼないと思うがどうだろうか。
解決することがまずないのだから、悩むことは不毛なことであるというのが私の見解だ。
ヨットが向かい風を利用して斜め45度前方に進んでいくように、ちょっと工夫することで
困難を推進力に利用できる。それが生きる知恵なんだ。
決して霊能力者にすがることが困難への対処法ではない。
悩みにはさまざまあると思うが、悩んで解決することはほぼないと思うがどうだろうか。
解決することがまずないのだから、悩むことは不毛なことであるというのが私の見解だ。
ヨットが向かい風を利用して斜め45度前方に進んでいくように、ちょっと工夫することで
困難を推進力に利用できる。それが生きる知恵なんだ。
決して霊能力者にすがることが困難への対処法ではない。
某スレッドで青猫に対する批判があり、そこでは根性論がどうしたとある。
私の場合は根性論というよりは「千里の道も一歩から」ってところだ。
たとえば或る事を一万回繰り返せば一定の水準に到達できるとき、
それをこなそうとしないのは怠慢でしかない。
一万回こなせますかと自称霊能力者に尋ねるのは甘えだ。
自分にとってとても無理と思えることであっても、
はじめの一歩を踏み出すことができれば、あとはどうにかなる。
ときどき目にする相談内容で、「私は結婚できますか」というものがある。
このように思い、質問している限り、お望みの結婚は不可能である。
結婚できますかと不安になるのではなく、結婚しようとする意志と行動が必要だ。
したがって、ただ不安になっている限り、その不安は現実化するだろう。
というか、残された人生はかなり短いと思って行動すべきだ。
やりたいことがあればとにかく行動することだ。
迷っていたり、悩んでいるのは人生の浪費だ。
あれもこれもやらなければならないなかで、毎日被曝しながら暮らす。
外部被曝の脅威よりも内部被曝の脅威を恐れる。
放射能汚染地で暮らすことを選び、ここを死に場所と決めたからには
もはや何も悩んではいられない。いつ死んでもいいようにとは思うが、
その意に反して新たに書籍を買い求めては読みきれずに積んである。
本来の寿命というものがあるならば、被曝を強いられたことにより
その寿命はあてにならないほど残りわずかとなったはずである。
皮膚にほくろが増え、白髪も増えたことを被曝の影響とみる。老化が進む。