「今朝目が覚める前に、死んだ人の夢を二度も見ちゃったよ。」と信吾は保子に言った。
「たつみ屋の小父さんに、そばを御馳走になったんだ。」
「あなた、そのおそばを召し上ったんですか。」
「ええ? さあ? 食べるといけないのか。」
夢で死人に出されたものを食うと死ぬというようなことがあるのだろうかと、信吾は思った。
「どうだったかな。どうも、食べなかったように思うな。ざるそばが一つ出たが。」
食わないで目が覚めたようである。
外が黒塗り、内が朱塗りの、四角い枠に、竹のすだれを敷いて、その夢のなかのそばの色まで、信吾は今もはっきり見える。
夢に色があったのか、覚めてから色があったことにしたのか、よくわからない。とにかく今は、そのざるそばだけがはっきりしている。そのほかはぼやけている。
(川端康成『山の音』)