国家は、主権者国民大衆の日々の幸福を維持・増進させるためのサービス機関である。
そこで、例えば飲酒運転事故、コロナ禍など大衆の幸福を脅かす事象に対して、まず国会(立法府)が、公開審議を経て有効な対策を法律と予算という形で制定する。それを受けて、内閣(行政府)が全国一律に公平にその法律と予算を執行して国民生活の向上に努力する。その執行過程で政策の不足や欠点が発見されたら、内閣はその点を国会にフィードバックする。その上で、個別に法律に違反する飲酒運転、補助金不正受給など事件が発生したら、それに責任を取らせて法状況を回復させるのが最高裁以下の司法府の仕事である。
これが、日本国憲法が定める三権分立の構造である。
これを「国葬」という課題に当てはめてみると、次のようになる。
私たちが国家という共同生活を送っている以上、国家すなわち主権者国民大衆の幸福の増進に多大な貢献をした偉人の死を、国葬という最高の儀礼で追悼することは、他の民主国家の例を引くまでもなく、あってよい。それは、政治の発展ひいては主権者国民の幸福の増進に資するものである。
だから、国葬については、まず国会が、その国葬に値する人物の基準と式典の概要について法律を定めておくべきである。予算については、当然、突然の事であるから、予備費を支出して国会の事後承認を得る手続きが憲法上認められている。
その点で、今、わが国には「国葬法」が存在していない。だから、国葬法が存在していないのに、法律を「執行」する行政権を担当している内閣が、行政権の名の下に不存在の法律を執行できるはずはない。
この場合に内閣ができることは、急なことであったので、「安倍元首相の国葬の是非」という議案を憲法72条に基づいて国会に提案することである。
それに対して、国会は、あまり時間がないので、公開審議を経て、「安倍元首相国葬特別法」を制定することも、「安倍元首相の国葬を求める決議」を採択することもできる。そして、内閣はそれを堂々と執行すればよい。
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