54年前に起きた「名張毒ぶどう酒事件」で、死刑が確定したあと、再審、裁判のやり直しがいったんは認められ、その後取り消されるという、異例の経過をたどった、奥西勝死刑囚(89)が、4日、肺炎のため、収容先の医療刑務所で死亡しました。
昭和36年、三重県名張市の地区の懇親会で、ぶどう酒に農薬が入れられて、女性5人が殺害された、「名張毒ぶどう酒事件」では、この地区に住んでいた奥西勝死刑囚が、1審で無罪となったあと、死刑が確定し、再審、裁判のやり直しを求めました。
平成17年、名古屋高等裁判所は、「犯人と認めることはできない」として、再審を認めましたが、高裁の別の裁判長が取り消し、さらに最高裁判所が審理のやり直しを命じるという、異例の経過をたどり、裁判所の判断は揺れ動きました。
この間に本人は体調を崩し、3年前に名古屋拘置所から東京の八王子医療刑務所へ移送され、人工呼吸器をつけて治療を受けていました。
奥西死刑囚は次第に体調が悪化し、法務省によりますと、4日昼すぎに肺炎のため、死亡したということです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151004/k10010258281000.html