クラマーさんは旧西ドイツ出身で、1964年の東京オリンピックに向けた日本代表の強化にあたるため初めての外国人コーチとして来日しました。基礎的な技術を徹底してたたき込み、日本を代表するストライカーの釜本邦茂さんなどを育て上げ、日本は東京オリンピックでベスト8に入りました。
クラマーさんは大会後に帰国しましたが、その際に残した「リーグ戦の創設」など強化のための提言は、実際に東京オリンピック翌年の日本サッカーリーグ発足につながりました。
そして1968年のメキシコオリンピックでは、クラマーさんの指導を受けた選手を中心とする日本代表が銅メダルを獲得してクラマーさんが築きあげた強化が実を結び「日本サッカーの父」と呼ばれるようになりました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150918/k10010240951000.html