【社会】書店の奇跡「美談にしない」 「山陽堂」過去から未来へ

1名無しさん@Next2ch:2015/05/31(日) 14:32:39.55 ID:M618Uohd

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/images/PK2015053102100054_size0.jpg
最後の朗読に臨む俳優の矢田稔さん(中央)。その左は同書店の遠山秀子さん=30日、東京都港区北青山で

 東京大空襲後、四度にわたって東京の都心部や山の手地区が焼き尽くされた「山の手空襲」の最後の大規模空襲から七十年。今では高級ブランド店が並ぶ表参道も炎に包まれ、大勢の人が焼け死んだ。空襲の際、多くの人が逃げ込んで助かった「奇跡の書店」で三十日、当時を振り返る催しが開かれた。表参道に変わらずに立ち続けることで空襲の記憶を刻み、過去と未来をつなぐ存在になろうとしている。

 この書店は一八九一年創業の「山陽堂書店」。鉄筋三階建てで、空襲当時は一階が店舗、二、三階が住居だった。一九四五年五月二十五日午後十時二十二分から約二時間、B29爆撃機による空襲で渋谷や赤坂など住宅が残っていた都内各地が徹底的に焼き尽くされた。表参道も火の海になったが、書店に逃げ込んだ百人ほどが助かった。

 しかし書店の四代目、遠山秀子さん(55)は「入りきれずに亡くなった人もいた。美談にしてはいけない」と考えている。

 遠山さんは五年前から地域の歴史に関する壁新聞づくりなどをしてきた。今年、初めて山の手空襲に関する催しを企画した。三十日には、俳優矢田稔さん(84)が戦後六十年の二〇〇五年五月に本紙が掲載した「炎の表参道 書店の奇跡」(「新編あの戦争を伝えたい」に収録)と、空襲に遭った当時の住民がまとめた体験記「表参道が燃えた日」から一編ずつを朗読。小学生のときに童謡歌手として表参道近くの日本ポリドールの吹き込み所に通い、戦意高揚の歌を歌った自責の念などを語った。

 矢田さんは健康面の不安もあるためこの日で朗読の全国行脚に区切りをつけること にしている。

 母親に頼んで一緒に参加した東京都三鷹市の中学一年藤田寛之さん(12)は「学校で戦争の勉強をして怖いと思った。戦争がどういうものなのかよくイメージできた」と話した。

 書店では六月五日まで、戦前や戦中の周辺の写真や地図などを展示。当時を知る人が暮らしぶりを話したり、新たな写真や資料を提供したりしてくれる。

 遠山さんは「空襲前の暮らしが分かることで、それが壊された悲惨さも浮かび上がる。そういうものを未来に伝えていきたい」と話している。

※抜粋です。
全文はソース先にあります。

ソース
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015053102000127.html

2名無しさん@Next2ch:2015/05/31(日) 21:52:24.38 ID:???

本屋って燃えやすそうな気がするけど

3名無しさん@Next2ch:2015/06/01(月) 01:57:12.02 ID:???

鉄筋だから大丈夫だったんだろうね


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