細野晴臣が1月20日、京都精華大学にて特別講義を行った。
細野は同大学で2013年度に開設されたポピュラーカルチャー学部で客員教員をつとめており
これまでにも「いい音楽とは何か」「どういった音を求めるか」など
第一線で活躍してきたミュージシャンならではの視点で教壇に立ってきた。
2015年最初の特別講義となる今回は、自身の“土台”を作ったテレビ文化の話や
音楽史における「特異点」について語った。
細野によると、音楽史的に「特異点」と思われるアーティストでも
名前が広く知られたり、後世に残ったりするとは限らないという。
「考古学のように音楽という地層をもぐっていくと、そうした音楽に出会えます。
今は聴く手段が増え、便利な時代になりました」と話し、近年は古い音楽を探って聴いていることを明かした。
細野が時代に「特異点」をもたらした人物として名前を挙げたのは
「とんねるず」「ザ・ピーナッツ」の名付け親としても知られる
元日本テレビプロデューサーの故・井原高忠だ。
井原は学生時代にベース奏者として駐留軍キャンプなどを廻った経験を持っている。
日本テレビ入社後は渡米し、アメリカのバラエティ番組のノウハウや
ブロードウェイのミュージカルにおける舞台転換の手法などを日本に持ち込み、日本のバラエティの基礎を築いた。
井原の手がけた歌とコントからなる本格バラエティショー『花椿ショウ・光子の窓』は
細野いわく「日本の番組は“紙芝居っぽく”なりがちだけど、この番組は臨場感のある立体的な作りで
メインで出演していた女優・草笛光子さんの踊りもすばらしかった」という。
当時、小学校高学年だった細野は欠かさず観ていたといい
「井原さんなくして今の自分はいなかったんじゃないかと思う」ほど感銘を受けたそうだ。
画像等
http://i.imgur.com/lN1hIRD.jpg
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以下ソース
http://realsound.jp/2015/03/post-2793.html