母さんが朝作ったスープとパンをかじって、男の子はまた姉さんの部屋へ行った。
手鏡を覗き込むと、女の子は机に向かって読書していた。
僕と同じだ。
男の子も毎日のように、本を読んで時間を潰している。
そう言えば今日はまだ読んでないな。
男の子はどうしようもなく嬉しい気持ちになった。
学校に行けず、毎日本を読む。
そんな生活をしている子が他にいたんだ!
声は届くのだろうか。
ちょっと恥ずかしい気もするけど、勇気を出して話しかけてみる。
「こんにちわ」
女の子は一瞬びくっとして、辺りをキョロキョロと見渡す。
男の子も話しかけた後で、ちょっと後悔した。
びっくりさせちゃったな。
声は聞こえるみたいだ。
不思議な作りになっているんだな、鏡って。
気のせいだろうと手元の本に目を移した女の子に、また声をかける。
「こんにちわ」
さっきより大きくはっきりと言った。
女の子はいよいよ怖くなって立ち上がり、ベッドの下や額縁の裏を調べ始めた。
「こっちだよ」
どうやら声は鏡台の方から聞こえる。
この部屋に誰かが侵入している?
そんなこと誰が許したって言うのかしら。
鏡台の前まで歩いて、女の子はまたも驚いた。
知らない男の子がこちらを見ている。
「こんにちわ。初めまして」
男の子はにこっと笑う。
「僕の声は聞こえる?」
こちらに話し続ける男の子は、甘えたいときのペットの猫を連想させる。
悪い子ではないみたい。
「あなたは誰?」
男の子の問いを無視して、女の子は一方的に話す。
誰って言われてもなあ。
「どうして鏡の奥に居るの?」
「それは僕も知りたい」
女の子も鏡越しにこちらを見ているらしい。いかにも訝しんだ目で。
「さっき本を読んでいたよね?」
「ええ」
「どんな本?」
「知ってる?シェイクスピアのリア王」
女の子は、どうせ知らないだろうと思っていたけど、予想外の返事が帰ってくる。
「悲劇が好きなの?」
それなりに本を知っているらしい。
「楽しい物語は嫌い。私が物語の主人公のように幸せになることはたぶんないから」
「僕と同じだ」
男の子はまたにこっと笑う。
その笑顔はどうしても嫌いになれなかった。
「君は今どこに居るの?」
「箱庭よ」
「箱庭って?」
「私が名前を付けたの。私が見ることができる世界の全て」
「随分広そうな箱庭だね。綺麗だし」
「そうでもないわ」
「僕も箱庭に住んでいるんだ。君の所より汚いし狭いけど」
「出たいとは思わない?」
「思うけど、母さんと父さんが駄目って言うんだ。体に障るからって」
「私も箱庭の外は危険だからって出してもらえないの」
「危険なの?」
「知らないわ」
同世代の異性と話すのは初めてなのに、いつの間にやらどちらも口が止まらなくなっていた。
本のこと、母さんや父さんや姉さんのこと、家の外のこと。
鏡の奥の女の子はツンケンしているけど、どこか男の子と似ている。