叔父とそういう関係になったのは小学五年になったばかりのことだった。
この人は母のお兄さんという人で同じマンションの隣室で一人で暮らしている。
うちの母はひどいヒステリー持ちで何年も前に父は逃げ出し
叔父とも兄妹仲がよろしくない。
叔父とそういう関係になったのは小学五年になったばかりのことだった。
この人は母のお兄さんという人で同じマンションの隣室で一人で暮らしている。
うちの母はひどいヒステリー持ちで何年も前に父は逃げ出し
叔父とも兄妹仲がよろしくない。
頼まれ事で叔父の部屋を訪れると、彼はHな動画を見ながら下半身裸でいました。
私はとっさに逃げ出しましたが捕まり、下半身を脱がされて
いっしょにHな動画を見ることを強要された。
動画の中の男女の様子は子供の私にはショッキングなものだった。
耳障りな女の喘ぎ声、ぐちゃぐちゃ絡み合う白い女の肌と毛深い男の肌。
何よりもオチンチンがおまんこに出入りしてる場面のアップはグロステクすぎる。
おしっこする汚い部分をあんなふうにずっぷり… あまりにも鮮烈すぎて
かえって目が離せない。
叔父の手が伸びてきて私のおまんこをいじり出す。
私は逃げようとしたけど肩を掴まれる。
それでもジタバタしていると唇を奪われた。
長々と叔父とファーストキス、息継ぎで少し口を離してまた舌を差込まれる。
あまりのショックにもう現実が飲み込めなくなってボオとする私は
叔父にされるがままとなり、私の幼い体は初潮より先に
性交を知ることになった。
小学生の姪っ子相手に興奮剥き出しでのしかかる叔父。
私は無慈悲に散らされ、容赦なく突貫され、
固く蕾んだ粘膜筋に叔父の形の産道を刻まれ
痛く熱い時間の果てに未熟で無垢な子宮に注ぎ込まれて
私の初めては砕け散った。
子供であることを奪われ無残に拡がった私の股間。
ドロドロと流れ落ちる血の混じった白濁液を拭う半べその私に
叔父は今日の出来事を誰にも告げないようにとお小遣いを渡してきた。
「お小遣いが欲しくなったらまた来ればいい」
母から小遣いなんて貰ってなかった私はその言葉に食いつき
再び叔父の部屋を訪ねたのは一週間後のことだった。
私は無事お小遣い持ってがに股で部屋を出た。
これ以降、週に一度か二度、叔父の休日にその部屋へ行くことになった。
叔父の部屋に入ると服を脱ぎ、二人でHな動画を鑑賞する。
鑑賞しながら叔父は私のおまんこをまさぐり、私は叔父のオチンチンを握らされる。
叔父が射精するまで放すことは許されない。
私は叔父をずっと扱かされてH動画が終わる頃に、叔父は動画の中の男と
ほぼ同時に発射する。
その後、私はまんぐり返しにされてオマンコをべろべろ舐め回される。
これは叔父と関係し出してから間もなく慣れて、当初のくすぐったいから
すぐに気持ちいいへと変わった。
そして中々慣れないセックス、動画の中の人達のようにはいかない。
でもお小遣いの為。
夏休みに入ってクラスメイトの皆が家族で旅行へ行く中、
私はむさ苦しい親族男の部屋で淫行三昧。
そして叔父が盆休みに入ると、その間彼の部屋へ行くのが日課になった。
ある日などは午前中から夕方まで入り浸っていた。
そうするうちに叔父とのセックスが次第に気持ちよく感じられて来ていた。
盆の中程、叔父は母に代わって私と弟をプールに連れて行ってくれた。
普通の親子連れにしか見えない私達。
帰り道に私達の乗ったミニバンは人気の無い公園に立ち寄った。
助手席で眠ってしまった弟を他所に、後席でカーセックスした。
激しい興奮を覚えた。 私はこの時初めて性の絶頂を経験した。
秋になって私にも初潮が来た。
この頃から叔父に私はフェラチオするようになっていた。
もちろん教育資料はHな動画。
中の女の真似してじゅぷじゅぷ、じゅぽじゅぽ、そして精液を飲む。
叔父はフェラで抜いてあげた時はそれだけで気が済んでくれたが
小遣いも少なめになった。
それだけにたまにセックスまでした時には私は堪えきれずに
かなりはしたない声を上げてしまうようになっていた。
年末の叔父は仕事が忙しく、クリスマスもなくて大晦日まで働いていた。
正月も私は友達と遊ぶのが忙しくて、冬休み最後の日曜日に
ようやく部屋を訪れた。
実に一ヶ月ぶりの叔父との淫行、フェラチオもセックスも両方やった。
私は燃え上がり、膣内射精する叔父にしがみついてしまった。
春になり、私は六年生。 叔父との関係も一年になった。
私達のする様はいまやいつも鑑賞してるH動画の中身そっくりになっていた。
私は躊躇なく叔父のオチンチンを口に含み、叔父は私の全身をくまなく愛撫する。
そして挿入、熱心に愛してくれる叔父を私はしがみついて最後まで受け止める。
早熟で日に日に女らしく変化していく私の体を叔父は楽しんでいた。
小学生最後の夏休みも去年とほとんど同じ。
叔父の盆休みに弟と私と三人で泊まりがけの旅行をしたことが去年と異なる。
母は今の今までまったく娘の所業に気づいておらず、うざい子供を数日
押し付けられて晴々してるようだった。
海水浴に水族館をめぐり、弟はものすごく喜んでいた。
そして夜はもちろん私は叔父と情事に耽る。
弟にバレないように行うスリルある行為は一年ぶり。
最初の晩は熱帯夜だというのに布団を頭まで被って汗だくで行い
二日目の晩は泊まり部屋の内風呂で交わった。
秋の運動会。
叔父が家族として見物しにきてくれた。
他のお父さん方と争ってカメラを回し、今では学童一に発育した体が
校庭を駆ける姿を撮りまくっていた。
その日の夕方はH動画ではなく昼間の記録映像を見ながらの行為となった。
ずいぶんと大きくなったもんだ… 成長した姪っ子の胸を吸う叔父。
私の体から校庭のにおいと味がするとも言っていた。
抱き合った私達は映像の中の運動会の歓声をBGMに律動を行い、
映像内のリレーがゴールするタイミングに合わせて叔父も発射。
私の子宮に大量の精子を駆け込ませた。
叔父にとって仕事だらけの不毛な冬が過ぎて三月、私は小学校を卒業した。
叔父は私のセーラー服にかなり興奮していた。
小学生最後のセックス、五年生、六年生の二年間で合計百回は行ったかな。
そして制服を着て行う最初のセックス。
同級生は男子とデートなんてまだまだ憧れでしかない子ばかり。
そして私もそのひとり。
叔父さんといくら性体験積んでもその点は皆といっしょ。
新品の制服スカートに膣から溢れる精液が着かないよう
ティッシュで後始末しながらそんなことを思っていた。
中学生になって私は部活に入る。
運動はあまり得意じゃないけどクラスで出来た友達に誘われるまま
ソフトボール部に入った。
休みの日にも練習があったり、部活仲間とプライベートでも
遊びに行くことがよくあって、叔父の所を訪れるのは三週間に
一度程度になっていた。
でも、叔父はお小遣いの額を増やしてくれた。
夏休みに入り、部活の練習に友達付き合いに大忙しだったけど
小学生の頃と比べて若干家に帰る時間が遅くなっても平気になったことで
平日でも叔父が仕事を早く終えた時は寄り込んだ。
そして叔父の盆休みには弟と三人でキャンプに行った。
三人で釣りをした。
三人とも一匹づつ釣れたけど魚を捌く技量が無くすべて川に返した。
スーパーで売ってる肉と野菜でバーベキューしたけど
なんか三人だけじゃ盛り上がらず、翌日は食堂で食べた。
夜は狭いテント内で寝てる弟の横ではさすがに致すことは無理で
最初の晩はカーセックス、二日目はベンチで星空眺めながら青姦した。
虫除けスプレーの効いてない胸やお腹は見事なくらい蚊に食われたけど
こんな外でセックスするのは初めてだったのでそれなりに燃え上がった。
懐中電灯頼りに川の水で膣の中の精液を洗い流したのも思い出。
秋の部活動。 三年生がいなくなって部員ぎりぎりの我がソフト部。
私もレギュラー入りを余儀なくされた。 ポジションはサードを任された。
新人戦地区予選では一回戦でこてんぱんにやられて敗退。
どんなに弱くても負けるとくやしい。
部活のユニフォームのまま帰宅、途中やはり帰宅中の叔父に遭遇。
叔父の部屋で部活のユニフォームのままセックスした。
ユニフォームズボンとパンツをずらされ背後から挿入される。
発射後、膣から漏れた精液でズボンにしみが出来た。
二回戦めは叔父も仕事着を着たままお互いに前だけ開き
私の乳房と叔父の胸板を密着させて激しく揉み合った。
叔父がアナルセックスの動画を見せてきて、
自分らもやってみることにした。
トイレで叔父に浣腸されて溜まった物を排泄させられた後
風呂場に移動してさらに念入りにお尻の穴の中を掃除された。
指と器具で肛門をゆっくりと拡げられる。
お尻の穴をいじられるのは嫌いじゃない、これまでも度々されてきたことだ。
今回はそれをより念入りにされているだけのこと。
風呂場で交わるのはこれまで度々やってきた。
指も器具も抜かれ、ついに叔父のオチンチンが肛門に挿入された。
こうして私は後ろの処女も喪失した。
それだけではない。なんと叔父は私のお尻の中で射精だけに止まらず
放尿までしたのである。
さすがに私は腹を立てたけど、叔父はさらにこれでおあいこにしようと
私の尿道に咥えついてきた。
私は思いっきり小水を叔父に飲ませてやった。
肛内放尿に飲尿という変態行為までやらかすようになった叔父と私。
クリスマスの夜まで精液と尿で汚れることになった。
その日、私は友達の家でパーティーをやって、
終わって帰り着いたのが夜九時ごろ。
叔父の部屋の前で不意にドアが開いて呼び止められた。
小遣いをいつもの倍あげると言われて寄り込み、一時間半ほど過ごした。
私はトイレに連れていかれて浣腸される。
お昼に食べたケーキを無理やり排泄させられた気分。
そしてお風呂で肛門に挿入、叔父は私の直腸で排尿を行い
お返しに私は叔父の口に泌尿器を咥えさせ、
パーティーで飲んだドリンク類のなれの果てを飲ませてやった。
風呂からあがってシックスナイン。
友人宅で味わったクリスマス料理の後味はすっかりオチンチンの味に変わった。
体位を入れ替えて膣に挿入。 「サンタさんとセックスしてる気分だろ?」
などと叔父が気持ち悪いことを呟く。 訪問先の子供と性交するサンタがいてたまるか。
私は変態サンタもどきに大量の精液というプレゼントを子宮に頂いたのだった。
友人の中で一番かわいい娘が「私は将来兄と結婚する!」などと冗談を言い
他の友人から「それ近親相姦じゃん 無理だよ 変態じゃん」というツッコミが入っていた。
もちろん私も笑いの渦の中。 しかし心中では単純に笑い飛ばしてはいなかった。
これまで叔父といけないことして、その代わりお小遣いもらってるだけ、と
極めて単純なふうにしか考えていなかった。
いけないことをしてるという自覚はあった。
だけどせいぜい学校の窓を割ってしまったのと同程度の感覚で捉えていた。
バレなきゃいいという思いの軽さは全く一緒だった。
中学生となると性的な話題は避けて通れない。
上級生との会話ではけっこうドギツい話題ものぼる。
「この中で誰が一番最初に処女捨てちゃうかなあ!」
陽気な声を上げる友人に対し、私は絶対に不審に思われないように
振る舞う必要があった。
気がつくと体の発育が同級生の中で最大級になってた私は
体験済みを疑われる筆頭格でもあったからだ。
何しろ、実際体験しているのだ。 とっくの昔から。
小学五年生の頃からこの春で丸三年もの間、実の叔父と肉体関係にある。
そう近親相姦という変態行為をずうっ……と、お小遣い欲しさにやり続けてる。
回数なんて二百回くらいはいってるんじゃないか。
フェラチオから精飲、最近はパイズリなんてのも出きるようになってきた。
アナルもOK、正常位、後背位、騎乗位、その他松葉崩しとかの変な体位
屋内、屋外、和室、洋室、車の中と実にバラエティに富んだシチュエーションで
肉親チンコをオマンコに挿入されて、同じ先祖の精を子宮に受け止め続けてきた。
学年で自分より経験豊富なやつが居るのなら出てきてみろ!などと
口が割けても言うわけにはいかない。
私は友人達の性に対するロマンチックな物言いを聞くにつれ、
己れがどれほど穢れているかと負い目に感じざるを得ないのだった。
つづく
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