釈迦の教えや徳に感謝しましょう
釈迦の教えや徳に感謝しましょう
私は罪を犯しません
私は自己の利益のためだけに動きません
私は他人の幸せを自分の幸せと感じます
私は人の罪を許します
私は欲に翻弄されません
私は生きることに意味などなくても生き抜きます
私は 私は わたしは わwあわwわわわわ・・・・・・・・リア獣ばくはつしr
みんな帰ったよ
じゃあ癩病の喩え話でもしようか
仏はこう言った
「私は昔在家者であったころ、雨季の四か月間高楼から下りることなく
ずっと女のオーケストラを楽しんでいた。しかし今の私は快楽を追っている
人々をうらやましいと思わないし、楽しいと思わない。
「喩えば傷だらけで腐った体を蛆虫に食われている癩病患者が
爪で顔の傷を引っかきながら炭穴で体を焼いているとする。
彼の友達や親戚が医者を呼んで彼を治療する。
すっかり良くなった彼の両腕を二人の屈強な男が掴んで炭穴に引きずっていく。
彼はじたばたと暴れるだろうか」
「そうだろう」
「なぜか?」
「なぜならゴータマ君。火は熱くて痛いからだ」
「ではその火は今は熱いが、以前は熱くなかったのか?」
「いや、火は以前も熱かった。その男が癩病で腐った体に蛆虫が
たかっていた頃、感覚が壊れていたから、熱くて痛いはずの火に、
これが楽だという逆の想いを得ていたのだ」
「ちょうどそのように、快楽は過去も未来も今も熱い。
人々は感覚が壊れているから、苦しい触感のはずの快楽に、
楽だという逆の想いを得ている。
私は彼らをうらやましいと思わないし、楽しいと思わない」
これとあと
「自分の自由にならないものは自分ではない。
例えば自分の体は自分の自由にならない。だからこそ人は自分の体に悩んでいる。
つまり自分の体は自分ではない。自分でないものは苦である。苦であるものは
『私はこれではない。これは私のものではない。これは私の魂ではない』と見るのが正しい」
という話とを交互に念じれば何からも興味を失うことができるぞ
そうすれば涅槃は近い
あのくたらさんみゃくさんぼだいしん発せしめたわ
サンキュー