彼は夢中になった。いきなり身を屈めて、
泥床の上にはね廻っている二匹の金魚を
両手に掴むと、それを振り廻しながら、
むちゃくちゃに人を押し分けて、電車から飛び下りた。
そして馳け出した。後から、叫び声とも
笑い声ともつかない大勢の声が響いてきた。
彼は我を忘れて馳けた。
下宿の側まで来ると、彼は初めて我に返った。
両手には金魚を握りしめていた。掌にねとねとした
不気味な感触があった。見ると、右手の金魚は腹が裂けて
臓腑が出ていた。彼はぞっとして、金魚の死骸を其処に落した。
金魚は鰭を張って、生きてるかのように立っていた。
彼は嫌な気がした。足先で溝の中に蹴やると、汚い汚水の中に、
臓腑のはみ出た大きな腹だけが、ぽかりと浮き出して見えた。
眼を外らすと、左手にはまだ一匹の金魚を握っていた。