どうなんだろうね
いわゆるタイムリープ物にありがちな見えざる調整がないものだと考えて
明日の7時半にいつもの交差点の歩道にダンプが突っ込んでくるものだとする
Aでは俺は休み明けで寝坊してしまって7時45分にその交差点に行ったら大惨事を目の当たりにする
Bでは気持ちを新たに7時15分に交差点を通り帰りになって初めて事態を知る
Cではちょうどいつも通り7時半に交差点にいて死ぬ
結果から見ればAとBの世界では俺は生きてるし、Cでは俺は死ぬ
ここで忘れてはならないのは最終的な俺というのはいずれのルートを通ったにせよ他のルートはなかったものとなる
CならCで俺は初めから明日の朝7時半に交差点にいてダンプにはねられて死ぬという運命が決まっていたことになる
でもそれっておかしいわな、結果から見れば俺はそのルートを進んだことに変わりがないが俺がなんらかの選択をしているんだもの
大きな見えざる手の平からは逃れられないとしても、そのまな板の上での俺のアクションは少なくとも俺にとって意味のあるレベルでは変化させられることになる
そのわずかな変化に価値を見出している間はやっぱりあがいてみる価値はあるんじゃないか