独り言つぶやきスレ #665

665以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2016/05/07(土) 02:21:39.83 ID:ghWS6eiq

雲飛が空洋という医者を尋ねた。
雲飛が言うことには、「毎日己れの死を思って眠ることもできず、死を恐れるまま年をとりつづけることが苦しい。誰もがそれは間違いだといい、自分も風のような悩みごとだと分かってはいる。けれども誰も病の正体をつまびらかに説明しようとしないから、とうとう自分の近くの人間まで同じような悩みの病に取り付かれてしまうことになった。」
空洋は「世の中には二つの苦しみしかない。それが分かるか」と尋ねた。
雲飛が答えて言うには、「それは内部から人を痛めつける苦しみと、外部から人を痛めつける苦しみです」と。
空洋は「それは抽象的過ぎる。よいか、精神と肉体という二つの分離を考えれば必ず袋小路になる。いくつの感覚受容器があるのか知っているだろう。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。これらはすべて平等に外部の刺激を受け取る。痛覚や温覚といったものもまた同じだ。しかし、感覚とはそれだけではない。例えば君は見たものを言語化できる。外部刺激から見たものが馬なのか指なのか、高い精度で判別できる。だがこれならば動物にもできることだ。大事なのは君が、自分が何を言語化しようとしているのかまで言語化できるということだ。つまり、単純に見たものを変換するということでなく、見てどう思ったかを考えることができる。この様な働きを司る器官を脳と呼ぼう。脳はあらゆる外部刺激を受け取って快不快の感情へと分類していく。だがその脳の出力もまた、脳に対する刺激であるのだ。だから嫌なことばかり思い出そうとすれば針で刺されるかのように痛みを感じる。脳からの再入力は他の単純な入力と分けて考えなければならないのだ。さて、まずは君を苦しめる入力が何か考えよう。もし原因が単純な入力であるならば、それは君を自殺にまで追いやることがあるだろう。またあるいは、自殺をさせずに悶々と君を苦しめ無気力に陥れるかもしれない。しかし、どうやら君は健康そうで、病気も怪我もないようだから、単純な入力ではないのだろう」と言う。
雲飛はその通りです、と答えた。
空洋は「単純な入力でないということは再入力であるということだ。再入力が苦痛であるというのはどういうことか。再入力とはいわば快不快に対する感想、あるいはその感想の入れ子である。もしあなたが今の状態を保ちながら永遠に生きながらえるとして、はたして感想の入れ子というものが一体どれだけ苦痛になりうるだろうか。私は、永遠の約束された生の下で抱く感想の入れ子が苦痛であるとは思えない。ということは、再入力の苦痛が来るべき死というただ一点から生起しているとはいえないだろうか。すなわち永遠の約束された生の下で、直接的な入力の他に一体何が苦痛であるだろうか。そこでは肉体の老い、精神の後退、感性の破壊が問題になるだろうか。永遠は平等であって尊厳も卑しさもないのだ。誰が衰えたあなたの思想を笑い飛ばそうと、あなたはもう気にする必要はないのではないか。そして来るべき死によってあなたの今の苦しみのすべての入力が生起していると分かった今、あなたは来るべき死への拒否感についてのみ問題にすればよいのではないか」と言う。
雲飛は「なるほどそのように考えてもいいでしょう。死をなくすよりも簡単に苦痛をなくす方法もあるのかもしれませんが」と言う。
空洋は続けて、「多くは死への恐怖さえ乗り越えられれば自殺によって解決する。解決が難しいのは自殺には大変な恐怖と苦痛が伴うからだ。では『少なくとも死への拒否感さえ無くなれば解決する』とされている苦しみも自殺によって解決できるであろうか。自殺を実行する勇気

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