例えば目の前に一つの卵かけご飯がある。いや、ここで卵かけご飯が『一つ』あると断定する事は出来ないのであるが、取り敢えず今ここで私が論点としたいのはそこでは無い訳で、あくまで卵かけご飯が一つあるのだと仮定する。
さて、この卵かけご飯の構成要素は何かと考える。純粋に卵かけご飯なのだから「ご飯」と「卵」がその構成要素であると断定するのは、些か愚かである。なぜならば、卵かけご飯の構成要素がご飯と卵のみで有るならば、同じくオムライス――ここでは、最も単純にご飯と卵とを用いて作ったものとする――の構成要素もご飯と卵のみであると言えてしまう。
すなわち、卵かけご飯=オムライスという構図が成り立ってしまうのだ。
だが、卵かけご飯とオムライスが別物である事は明白である。故に、先に示した断定は全くの間違いである事が分かる。
では、オムライスとの差異を生み出す、卵かけご飯のみが持ちうる構成要素とは何であろうか。「卵かけご飯」の単語の並びをよく見れば賢い皆様には理解頂けるだろう。「かけ」の部分である。卵かけご飯は、『かけられている』ために、卵かけご飯たりうるのだ。
残念ながら、卵かけご飯が「卵」と「ご飯」しか入っていないというのは、無知が作り出す幻想に過ぎない。
卵かけご飯に含まれているのは「卵」と「かけ」それから「ご飯」、この三つである。これが、正に正しく卵かけご飯に対する分析なのであると言えよう。