誹謗中傷の依存性
これは依存症の心理にも通じるところがある。たとえば薬物依存症やアルコール依存症になる人は、不快なことや嫌なことがあると、問題の根本解決を図るのではなく、クスリや酒に頼って、一時的に気分を紛らわせようとする。
すると、即効性のある心理的「効果」がもたらされるので、その手段にばかり頼るようになる。つまり、何かにつけ不快な問題の真の原因や対策から目をそらし、一時的な気休めを求めてクスリや酒に溺れるようになる。
誹謗中傷にも麻薬のような中毒性がある。鬱積した不快感や不安感をわかりやすい相手に吐き出せば、一時的な心の平穏が訪れたような錯覚を覚える。さらには、ゆがんだ正義感に浸ることもできる。しかし、それでは結局何も解決しないので、一時的な高揚感などが覚めれば、またネガティブな感情にさいなまれて、果てることなく誹謗中傷を繰り返すのである。
そして、それが簡単にできてしまうのがネットやSNSの恐ろしいところである。著名な医師に直接会うことはなかなかできないし、もし直接会ったとしても、面前で暴言を投げかけるということには普通ブレーキが働くものだ。しかし、SNSではそのブレーキもきかない。しかも、「いいね」が付いたり、支持的なコメントがあったりすると、それで自分の誹謗中傷が認められたような気になってしまう (5)。
ここで気づいてほしいのは、それはいびつなフィルターバブルの中での「いいね」にすぎないということだ。自分の言動を親や子ども、友人(SNS上のバーチャルな友人ではなく)が見たらどう思うか、「いいね」と言ってくれるだろうか、それを冷静に考えてみるべきだ。
さらに、酒や麻薬の依存症には直接の「被害者」はいないが、誹謗中傷の先には、生身の人間がいる。つまり、軽はずみな気持ちから「被害者」を出してしまえば、当人は「加害者」ということになる。そして、事が明るみに出れば、最悪、家族の信頼、仕事、仲間などを失うことになってしまうかもしれないし、自身の尊厳や人間性も蝕まれてしまう。
つまり、誹謗中傷は、本人の人間性を蝕み、周囲や社会との関係性まで壊してしまう恐ろしい麻薬である。