コロナの猛威のあとで
コロナ禍では多くのものが失われた。不幸にして亡くなったり重度の後遺症を負ったりした人、高齢の親や祖父母に長らく会えなかった人、経済的危機に陥った人、人生設計の変更を余儀なくされた人、楽しみにしていた計画や行事が中止になった人など、さまざまな苦しみや悲しみが生まれた。程度は違えども、それぞれに皆がダメージを受け、その傷がまだ癒えていないのが現在である。
そして、今われわれが目にしているのは、コロナが猛威を振るった瓦礫のなかで、人の心までも荒廃してしまったかのような光景である。
憎むべきはコロナという感染症であるのに、目に見えないウイルスや人格を持たない病気を攻撃しても仕方がないので、いきおいその憎悪が目の前の著名な医師や専門家に向かっている。それはあたかも、雨が降って遠足が中止になったとき、だれかを「雨男」だと見立てて個人攻撃しているのと同じことで、きわめて幼稚な心理である。
しかも、本人はそんなことをしても何の解決にもならないことに気づいていない。一時的な気晴らしにはなっても、攻撃する相手が間違っているので、何も解決しないのは当たり前のことだ。