〓『脱亜入欧』をスローガンに、欧米式の自由主義憲法を理想とした福沢諭吉翁や大隈重信公。
〓ところが福沢諭吉翁や大隈重信公が嫌悪した儒教かぶれ支那かぶれで旧態依然とした徳川幕府の負の遺物である昌平坂学問所が“東京帝国大学”と名を変えて息を吹き返すと、河上肇などの共産主義マルクス経済学者がポンコツ東大に蝟集するようになった。
〓儒教かぶれ支那かぶれで旧態依然とした徳川幕府の負の遺物である昌平坂学問所から名を改めたポンコツ東大の法学者達は、ドイツ国法学を手本に天皇の地位や権威は古事記や日本書紀などの神話、戊辰戦争の勝利ではなく、専ら明治憲法(大日本帝国憲法)の規定に由来すると謳う『天皇機関説』を主張した。
〓要するに儒教かぶれ支那かぶれの『徳川ゾンビ』たるポンコツ東大に巣食った美濃部達吉 等は、天皇の地位や権威が明治憲法(大日本帝国憲法)発布前に起こった戊辰戦争での勝敗や、記紀などの神話に由来するものではないと藩閥政治を否定したのである。
〓『徳川ゾンビ』たるポンコツ東大の卒業生である国賊ポン銀・財務官僚、井上準之助は、第一次五カ年計画(1928年~1932年)を強行して、NEPマン(新興起業家)やクラーク(富農)を容赦なく潰した旧ソ連共産党の独裁者スターリンの猿真似をして世界大恐慌の最中に『国策デフレ』を強行し、折角 近代化した資本主義ブルジョア日本経済を ぶっ壊した。
〓旧態依然たる儒教かぶれ支那かぶれの江戸時代に創業した三井財閥は、江戸時代を懐かしむように『徳川ゾンビ』たるポンコツ東大の卒業生である井上準之助が強行した旧平価での金解禁や『国策デフレ』に同調し、資本主義ブルジョア戦前日本経済が ぶっ壊れるのを手助けした。