射精介助は正当業務行為 ID:IR82XZze

80患者を治す気のない傲慢な医者より神仏信仰:2024/02/22(木) 00:30:51.35 ID:IR82XZze

>松本人志問題で「なぜ何年も経ってからなぜ告発したのか」と責める人に精神科医が言いたいこと
2024/2/21(水) 17:12配信 文春オンライン (和田秀樹)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d77b61a55d45fe3c641d190c23c7f775dd2bc804?page=1

〈「週刊文春は便所紙になるのか」橋下徹氏が、松本人志報道で投げかける“問い”とは〉 から続く

>【画像】告発者のA子

>「週刊文春2024年1月4日(木)・同11日(木)号」に第一報 「《呼び出された複数の女性が告発》ダウンタウン・松本人志(60)と恐怖の一夜「俺の子ども産めや!」 が掲載されてから、大きな反響と議論を呼んでいるダウンタウン・松本人志(60)をめぐる問題。

>一連の報道、松本本人の言動、メディアや世間の反応について、各界の識者たちはどうみていたのか――。「週刊文春」で2週にわたって掲載された特集「松本問題『私はこう考える』」を公開する。

>松本人志の問題は、テレビ業界における腐敗の象徴と指摘するのは、『80歳の壁』(幻冬舎新書)などのベストセラーがある精神科医の和田秀樹氏(63)だ。「“性被害”に向き合わないテレビ業界に常々、怒りを感じている」と語る。

◆ ◆ ◆

>松本氏の問題はテレビ業界や芸能界の腐敗の一端に過ぎない

>性被害で受けた心の傷は、一生続くケースがある――。精神科医としてそう断言できます。そして被害者が「傷付いた」と口にできたのであれば、しっかり耳を傾けなければならない。その意味で「週刊文春」が報じた一連の記事は、重要な問題提起と考えています。
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〓医師の見解が法律(時効制度)に優越するという和田秀樹の考えは、共産党の指導が憲法に優越するというイデオロギーと同様に独善的で危険な思想である。

〓医師の使命は患者の(心の)傷を一日も早く治すことだ。

〓それなのに「性被害者は10年も20年も苦しみ続ける。時間が経過してからようやく言葉にできる、告白できるケースがある。これは至極、当たり前のこと…」などと開き直るとは言語道断である。

〓「患者の(心の)傷は一生続くケースがある」のに診療報酬は毎度しっかり頂戴しますでは、詐欺師と変わらんじゃないか。

〓通院しても傷は一生治らないと言い張る人間に、そもそも医者を名乗る資格あんのか。

〓だいたい苦しむ患者を治す気あるんか。



>『苦しみ(煩悩)からの解脱へと衆生を導く観音経』(日本仏教学院)
https://true-buddhism.com/sutra/kannongyo/

>受諸苦悩聞是観世音菩薩
(じゅしょくのもんぜかんぜおんぼさつ)
>一心稱名
(いっしんしょうみょう)
>観世音菩薩即時観其音聲皆得解脱
(かんぜおんぼさそくじかんごおんじょうかいとくげだつ)
>(引用:『観音経』)

>【現代語訳】
>諸の苦悩を受けんに是の観世音菩薩の大慈悲神力を聞いて、一心に菩薩の御名を念称するときには、観世音菩薩は直ちにその音聲(おんじょう)を観じたまいて、皆尽く煩悩ぼんのうに起因する苦しみを解放してくださいます。

*『煩悩』とは
煩悩とは、「煩わせ」「悩ませる」ものであり、言い換えると私たちを 苦しめる心のことです。
簡単にいうと欲や、怒りや、愚痴の心を煩悩といいます。



〓大乗仏教では『観音菩薩を念じれば立ち所に衆生の苦しみが解ける』と説いている。

81患者を治す気のない傲慢な医者より神仏信仰:2024/02/22(木) 00:32:06.37 ID:IR82XZze

>『苦しみのキリスト教的意味』(片柳 神父のブログ)
https://hiroshisj.hatenablog.com/entry/20100210/1265756835

>『人間の魂を変貌させる恩寵への道を他の何よりもはっきりと示すのは、苦しみです。』(教皇ヨハネ・パウロ2世)
>病苦に限らず、すべての苦しみは恩寵への道だということができます。苦しみはわたしたちの心の周りに何重にも積み重なったエゴの殻を打ち砕き、ありのままの心で神の前に立つことを可能にしてくれるのです。苦しみの中で自分の才能、財産、名誉、権力、健康などにより頼む心が完全に打ち砕かれ、自分には神以外になにも頼れるものがないということを痛感できたとき、神の前にまったく無力な自分を差し出すことができたとき、わたしたちの心に神の恵みがあふれるほど豊かに注がれます。苦しみの中で感じる痛みは、エゴの殻を打ち砕くために下されたハンマーの痛みだと言えるかもしれません。
>キリスト教徒にとってすべての苦しみは恵みだといえるでしょう。苦しみの中で傲慢な心を打ち砕かれたとき、わたしたちは神の前にひざまずくことができるのです。

>苦しみそれ自体が悪であるとすれば、なぜ神はそのような悪が存在することをお許しになるのかということです。
>病苦にどれほど意味があったとしても、肉親が病に冒されて呻く姿を見るのは耐え難いことですし、ハイチで起こった地震のことを思うと、なぜ罪のない人々、多くの子どもたちがこんなひどい目に会うのかと思わざるを得ません。
>神は、なぜこのような悪の存在を放っておかれるのでしょうか。
>その答えは、「神の思いは人間の思いをはるかに超えている」ということに尽きると思います。人間の目から見れば死よりも生がいいに決まっているし、病気よりも健康のほうがいいに決まっていますが、それはあくまでも人間の目から見たものの見え方です。
>詩編139(旧約聖書)は次のように言っています。
「『闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。』 闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち/闇も、光も、変わるところがない。」(旧約聖書・詩編139)
>光と闇を同じように見通される神の目から見たとき、死と生、病気と健康、豊かさと貧しさのあいだには、もしかするとあまり区別がないのかもしれません。
>イエス・キリストにおいて、神は死を含めて人間のすべての苦しみを味わいました。すべてをご存じの神が、わたしたちに悪いことをするはずがありません。神はすべてを善い方向に導かれるはずだということを信じたいと思います。



〓キリスト教では、苦しみは自力救済の自信(エゴ)を打ち破り、神の前に跪き、溢れる程の神の恵みを豊かに注がれる正に恩寵への道、すなわち善の道、愛の道だと説く。

〓「心の傷は一生 治らないケースがある」などと開き直り、患者を治す気があるのか否か、全く頼りない精神科医に救いを求めるより、信仰心によって苦しみは必ず解き放たれると説く仏教やキリスト教に帰依した方が短期間の内に快癒するのではないか。


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