射精介助は正当業務行為 #50

50北公次の真実:2024/01/05(金) 14:34:19.83 ID:NGpgGh+I

>『北公次の生涯』



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運動神経抜群でルックスも良かったのでジャニーズ事務所にスカウトされたが、ジャニー喜多川氏の目を盗んで喧嘩、シンナー、麻薬に溺れた不良の北公次。
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素行不良の北公次をトップ・アイドルに登らせようと事務所を挙げて更生させた。
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1968年 フォー・リーブスのメンバーとしてデビュー(大枚を叩いて北海道から九州まで泊まり掛けでコンサートに付いて来て少年アイドルに熱烈なラブ・コールを浴びせる“追っ掛け”<女性ファン>とのスキャンダルを予防するため、ジャニー喜多川氏が北公次に性的予防措置を講じる)。
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人気が下火になった1978年にフォー・リーブスが解散。
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気の弱い北公次が元の不良に戻ることを心配した事務所が制止するも、北公次は聞く耳を持たず退所。
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ジャニーズ事務所を退所した翌1979年、案の定 北公次は覚醒剤事件を起こし逮捕される。
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釈放後、職を転々とした北公次が金銭的に行き詰まっている時に、ジャニーズの裏情報を募集していたAV監督の村西とおるから誘われる(『Wikipedia』)。
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1988年11月にデータ・ハウスより半生記『光GENJIへ』を出版。本作の主な内容は、ジャニー喜多川氏やジャニーズ事務所に関する暴露と、自身の仕事面や実人生でのこれまでの転落や不祥事や不調はジャニー喜多川氏とジャニーズ事務所にあると結論付けるジャニーズ批判、自身の芸能界復活や再デビューを予告する内容だった(『Wikipedia』)。
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北自身は後年、『光GENJIへ』シリーズ出版やそれに伴うジャニーズ批判活動で得たギャラや収入はライブや酒につぎ込んだ、ライブも最初のうちは本の話題性で客は来ていたが長くは続かなかった、ギャラに目がくらんで恩人を裏切ってしまった後悔の念を述べていた(『Wikipedia』)。
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2002年1月にフォー・リーブスを再結成。往年のファンからの支持を受け、2009年に青山孝史の急逝を経た3月29日(日)の無期限活動休止まで、ライブ中心に活動した。この間、2006年には東日本総合整体学院の広告モデルを務めた。2006年8月12日(土)、NHK『第38回思い出のメロディー』に出演、57歳にして得意のバック転も披露した。続いて翌2007年1月23日(火)『徹子の部屋』にメンバー揃って出演、解散後の25年間のこと、家族、コンサートの話を語った。同年2007年には、フォー・リーブスとしての活動や所属事務所のエフ・エンタープライズ*と並行して、個人事務所とファン・クラブを設立。2008年1月29日(火)にはフォー・リーブスのツアーと並行し、ソロ・アーティスト"k.koji"の新出発と銘打ったディナーショーを明治記念館で開催[7]。フォー・リーブスの代表曲「踊り子」カバーも含むソロCDを発売、ソロ・ライブやファン・クラブ会員相手の有料イベントをおこなっていた(『Wikipedia』)。

*『エフ・エンタープライズ』
主な所属タレント:
おりも政夫、野村克也、細川たかし、杜このみ、彩青etc.
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ジャニー喜多川氏は、暴露本の出版にも拘わらず、北公次の更生を喜んでフォー・リーブスの再結成を温かく見守った!
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2012年2月22日(水)、肝臓がんのため都内の病院で死去[10]。63歳没。葬儀は創価学会の「友人葬」形式で営まれ[11]、親族や関係者約250人、ファン約400人が弔問した(『Wikipedia』)。
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亡くなる前日(2012年2月11日


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