>『渡辺芳則(山口組5代目組長)』Wikipedia
>1989年(平成元年)3月、一和会との抗争が終結。同年4月16日、山口組舎弟会で、渡辺芳則を五代目山口組組長に推すことが決まった。山口組舎弟会には、山口組二代目森川組・矢嶋長次組長も出席していた。同年4月27日、五代目山口組組長に就任した[2]。組長在任中は若頭・宅見勝らの方針もあり警察との対立を避け、ブロック制導入などの合理化・統制化を勧め拡大路線を推進し続けた。
2005年 山口組5代目組長を引退。
>『佐藤勉』Wikipedia
>1952年、栃木県下都賀郡壬生町生まれ。栃木県立壬生高等学校を経て、日本大学工学部土木工学科卒業。
1975年に日大を卒業し、間組に入社する[2]。
1989年に36歳で栃木県議会議員に当選[3]。
1996年に第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で栃木4区から出馬した。新進党の山岡賢次らを破り、初当選した。党内派閥は宮澤派に所属するが、2000年の加藤の乱で加藤紘一と行動を共にして後は、小派閥に転落した旧加藤 - 小里 - 谷垣派に身を置き、谷垣派の解散に伴い古賀派に所属した[2]。
2006年、衆議院総務委員長に就任。2007年、安倍改造内閣で総務副大臣に就任し、福田康夫内閣でも再任された[2]。
2008年、麻生内閣で国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、防災)に任命され、初入閣。翌2009年6月、日本郵政のかんぽの宿売却問題をめぐり鳩山邦夫総務大臣が辞任したため、総務大臣、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)を兼務する。7月の閣僚の補充人事により国家公安委員会委員長及び内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、防災)に林幹雄が就任したため佐藤は退任し、9月まで総務大臣を務めた[2]。
同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、栃木4区で民主党の山岡に敗北。重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し、5選。
2012年10月、所属していた古賀派を退会し、自由民主党総裁を退任後間もない谷垣禎一を中心に逢沢一郎、中谷元らが旗揚げした勉強会「有隣会」に参加[要出典]。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、栃木4区で日本未来の党に移籍した山岡らを破り、6選。
2013年10月11日、体調不良のため辞任した鴨下一郎の後任として自由民主党国会対策委員長に就任した[4]。
2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、栃木4区で7選。
自民党国会対策委員長や衆院議運委員長など議員生活の8割で議会運営に携わった。2015年の安全保障関連法の成立を主導。「自分が持つ国対技術の全てを注いだ」と振り返る[5]。
2016年9月、衆議院議院運営委員長に就任[6]。
2017年5月12日、麻生派、山東派との合流へ向け有隣会を離脱。そして有隣会離脱者を中心とする「天元会」を設立し会長に就任[7]。その後7月3日、合流により新派閥志公会が発足。佐藤は会長代理に就任[8][9]。10月22日の第48回衆議院議員総選挙では、栃木4区で8選。
2020年9月16日、自民党総務会長に就任。
2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で立憲民主党の藤岡隆雄に迫られるも勝利し、9選。
2022年2月25日、御法川信英、丹羽秀樹、阿部俊子と共に、麻生派を退会[10]。
2024年9月27日に行われた自民党総裁選挙において、1回目の投票では小泉進次郎に投じ[11]、得票数1位の高市早苗と2位の石破茂が進んだ決選投票では石破に投じた[11]。
第50回衆議院議員総選挙では支援者に対して引退を表明したものの、撤回して出馬[12]。2024年10月31日の総選挙で立憲民主党の藤岡に敗れる