ぐだぐだと #922

922名無しさん@Next2ch:2025/07/10(木) 11:27:41.33 ID:IfYaaoKv

ターフを揺るがす"怒涛"の力。

ヒーロー列伝No.50より


メイショウドトウMeisho Doto(以下「ドトウ」)とは、日本の元競走馬。

『ウマ娘 プリティーダービー』におけるメイショウドトウはこちら→メイショウドトウ(ウマ娘 プリティーダービー)

データ
生年月日:1996年3月25日
父:Bigstone
母:プリンセスリーマ
母父:アファームド
調教師:安田伊佐夫
馬主:松本好雄
生産者:P. Hardy
産地:アイルランド
セリ取引価格:-
獲得賞金:9億2,133万円
通算成績:27戦10勝[10-8-2-7]
主な勝鞍:01'宝塚記念


誕生と経歴
1996年3月25日生まれの牡馬。
アイルランド生まれの外国産馬で、父はBigstone、母はプリンセスリーマ。
両親は共にアイルランド産で血統表を遡ると、どちらにもノーザンダンサーの名がある。
海外で生産されたいわゆる「マル外」で、500万円という破格の安値で日本に輸入された。
…のだが、タグにもあるように、どのような経緯で日本にやってきて「メイショウ」冠名を用いる松本氏の持ち馬になったのか、は完全に謎。

競走馬として
非常にがっしりとした体つきをしており、特に胸筋の厚さは圧倒的であった。
外見的特徴として額から大きくまっすぐ広がっている白面がある*1。

なかなかの遅咲きで、3歳(1999年)4月に2勝目、10月に3勝目、11月に4勝を果たしようやくオープン馬に昇格。
当時のクラシック三冠レースはまだマル外が締め出されていたが、ドトウには関係の無いことだった。
4歳になった2000年春の中京記念でようやく重賞初制覇。

初のGⅠとなった宝塚記念は、テイエムオペラオーにクビ差の2着。
オールカマー1着を経て3連続で挑んだ天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念もやはりオペラオーの2着。
そして年が明けた2001年の天皇賞(春)もまたしてもオペラオーの2着という稀代のシルバーコレクターに……。

ただ、オペラオーのせいでドトウは二番手扱いのイメージが強いが、オペラオー不在のGⅡレースでは3勝(金鯱賞、オールカマー、日経賞)しており、
9戦連続重賞出走で「1着」か「オペラオーの2着」という記録も叩き出し、2000年のジャパンカップでは参戦した全ての00年世代より先着している*2。普通に強い。
ようするに、オペラオーの覇道の裏でオペラオー以外を容赦なく蹂躙していたのがドトウだったのだ。
なお、2000年から天皇賞がマル外にも2頭までだが解放されており、そのおかげで王道路線にコンスタントに出られたのはドトウにとっては幸運といえた。
頭数制限のせいで泣きを見た競走馬も出てきたが、それはまた別のお話ということで。

そして、2001年宝塚記念。
主戦騎手だった安田康彦*3は惜敗続きに責任を感じており、負けたら主戦を降りる覚悟で挑んでいたという。
いざスタートし、早めに仕掛け最終コーナーで先頭に立つ。

ドトウ先頭!ドトウ先頭!
ドトウの執念が通じるのか!ドトウの執念がここで通じるのか!

徹底したマークに手間取り、抜け出しそびれてなおオペラオーが猛追してくるも…

しかしメイショウドトウ一矢を報いるか!ついに夢の一矢を報いるか!
ドトウか!ドトウか!オペラオーか!
ドトウだ~!
(杉本清アナ)

これを1と1/4馬身差抑えて勝利。
ドトウ・馬主・所属厩舎ともに念願の初GⅠ制覇となった。

……しかし秋以降は新世代の台頭にオペラオー共々飲み込まれていく。
天皇賞(秋)では覇王と名将を後ろから急襲した、勇者ア

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