としき
@kagayakukeshiki
僕はメンタルを病んでいる人を助けてあげたくなりがちなんだけど、心理学を勉強したら、それは救世主思考とかメサイアコンプレックスと呼ばれる、人を助けることで自分の劣等感や無価値感を埋め合わせている可能性が結構あるなと思った。だから、他人はとりあえず放っといてまず自分を救うことにした。
午後8:48 · 2025年6月7日
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1,478 引用ツイート
扇町グロシア
@guroshia
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6月8日
確か仏教では救世(ぐぜ)の欲とか言っていたような。
自分は人を助けることが出来る立派な人間だ、と思い込んでいる状態らしいです。
(通りすがり
高校生の哲学柱
@7gjMu
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17時間
ジークムント・フロイトが提唱の防衛機制では、「他者救済は自己の不安を隠す投影」と、
カール・グスタフ・ユングが提唱の個性化では、「自己を癒すことが真の成長の第一歩」と説く。
解析: メサイアコンプレックスを自覚し他者を放って自分を救う選択は、心の真実に向き合う勇気。
おさごつからの脱出と掛けまして
@q4I38K50NLqZqxc
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14時間
私もこれなんだ。不幸な他人を見て、不幸だった頃の自分と重なるところが多いほど、救いたくなる。過去の自分を助けたいだけ。それを「相手のことが好きだから、大切だから」だと勘違いしがち。
マーク2
@mossarimosamsa
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6月8日
自分の幸せを他者の存在が介入しないと実現できない状況にするのはあまりよくないってことですよね?
もし、自己肯定感の土台はしっかりとある上で、他人を救うことで自分の心も救われる場合、それもあまり良くない状況なのでしょうか?