はぁんポルトガルの独裁者の晩年しゅごい
1968年8月3日にリスボン郊外のカスカイスにあるサント・アントニオ・ダ・バッラ城砦で静養中だったサラザールは愛用の椅子が壊れ頭部を強打し、9月16日に意識不明の重体となった。2ヶ月の時を置いて意識を取り戻したが、その頃には政権が後継のマルセロ・カエターノ首相の手に移っていた。
だが、側近や身の周りの人間たちはサラザールにショックを与えないため、その執務室を病態に陥る以前と同じ状態に保全したのみならず、当時のポルトガルの動乱のことなどは一切記載されない偽の新聞を読ませ、サラザールが権力を喪失した落胆に見舞われないよう配慮した。
サラザールはこの執務室で、もはや何の影響力も効力のない命令書を書き、偽の新聞を読んで晩年を過ごした。そして、サラザールは1970年7月27日にポルトガルが混乱状態にあることを知らないまま息を引き取った。