もう今年で50(歳)になるおっさんなので“もう青春でもねーだろっ!”とも思うんですけど(笑)
ただね、5年前までは、20代の主人公に自己同一化できていたのが、さすがにできなくなりはじめていて。撮っていて“あ、俺は春馬のきらめきに自分を重ねられない! もうダメだ!!”って
シキシマ(長谷川博己)というキャラクターが生まれたのも、シキシマみたいな存在がいないと、自分を通すフィルターになれないというのか。かつての自分と今の自分、両方出して、戦わせることで、向こうみずでまっすぐな主人公たちが描けたというのか
シキシマ=監督