反米機運は利敵行為に他ならない。
かつて共産主義者らは、北支那を固めロシアの南下を防ぐ事を国是とした政府方針を、
良質な石油があると誇張し南進政策へと政府方針をシフトさせた。
結果英米対立と結びついてしまった。尾崎秀賽という政府中枢に入り込んだ共産主義者は戦線拡大をしきりに煽りたてた。
1928年(昭和3年)コミンテルン第6回大会において「帝国主義戦争と各国共産党の任務に関するテーゼ」の要点とは、
1、自国政府の敗北を助成すること
2、帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること
3、民主的な方法による正義の平和は到底不可能なるが故に、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること
と決議されている。
これを元に日本の共産主義者は、日本を戦争に導き同じ資本主義国である米国とかみ合わせ、日本を敗北に導き共産革命に導くという考えの元、
大東亜戦争に導いた。
反米という日米離反行為がなんであるか、歴史を振り返れば解る。