プライヴェイトな別離とは裏腹に、当時の深水はまさに絶頂期で、1937年6月の花井の退社・P.C.L.入り以来、日活時代劇の娘役の筆頭スターの地位を独走、5月に阪東妻三郎がプロダクションを解散して日活入りすると、阪東主演、マキノ正博監督の『国定忠治』で相手役を、翌1938年1月、嵐寛寿郎がプロダクションを解散して日活入りすると、『鞍馬天狗』で共演する。阪妻・嵐寛・千恵蔵揃い踏みの『忠臣蔵』地の巻(監督池田富保)/天の巻(監督マキノ正博)、および『続水戸黄門廻国記』(監督池田富保)の同年の2大作品にも出演した[2]。
1942年(昭和17年)1月の戦時統合による大映への合併を期に退社、26歳で映画女優を引退した。このときすでに100本の映画に出演していた。川浪良太郎一座に加わり、舞台を踏んだ。戦後は大映の伊藤大輔・稲垣浩共同監督作品『東海水滸伝』(1945年)や東宝の小田基義監督作品『音楽五人男』(1947年)に顔を出したが、基本的には引退している。1951年(昭和26年)10月、中園忠淳と結婚、一男をもうけたのちに離婚した[2]。