深水藤子 - Wikipedia
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深水 藤子(ふかみず ふじこ、1916年4月10日 - 2011年12月18日)は、日本の映画女優である。画家の伊東深水が同芸名の名づけ親で、本名は安田 富士子(やすだ ...
1935年(昭和10年)、19歳になり、山中貞雄監督の『丹下左膳余話 百萬両の壺』に出演、ひきつづき稲垣・山中共同監督作品『関の弥太ッぺ』の大河内の相手役に抜擢される。山中監督の『街の入墨者』に抜擢されるにいたり、山中とのロマンスが噂されるようになる。同作は同年の「キネマ旬報」誌ベストテン2位に選ばれたが、プリントは現存しない。同年から足掛け2年がかりの稲垣監督の超大作『大菩薩峠』に出演、花井蘭子と双璧の日活時代劇スターとなった。翌1936年(昭和11年)1月8日のスタジオ開きで、花井は功労賞、深水は技芸賞を受賞した[2]。
1937年(昭和12年)、ひさしぶりに山中監督の『森の石松』に出演、山中は同作を最後に日活を退社、P.C.L.に移籍する。移籍後第1作の『人情紙風船』を最後に、8月に応召、翌1938年(昭和13年)9月17日に戦死してしまう。深水は山中との結婚を心に決めていたという説がある[2]。