司法修習を経て1997年(平成9年)に弁護士登録し弁護士になった橋下は、
大阪市北区西天満の「樺島法律事務所」(樺島正法弁護士)に入る。
樺島事務所に入った後、
「同和地区に住んでいたけど私は同和じゃなかった。
だから、私は同和問題はやりません」と言い、
部落解放同盟の朝田善之助派が起こした京都市営住宅の家賃値上げ
反対訴訟に参加することを拒否した。
1998年、大阪市北区西天満に自前の「橋下綜合法律事務所」を
設立して独立。示談交渉による解決を看板にする。飛び込み営業なども
行い顧客を集め[14]、弁護士としての主な担当業務は企業コンプ
ライアンス、M&A、エンターテインメント法、スポーツビジネスなど。
大正時代に築かれた日本最大級の遊廓と言われ、
最後の色街ともいわれる飛田新地の料飲組合の顧問などもしていた[15]。
かつ消費者金融(商工ローン)大手アイフルの子会社シティズの
顧問弁護士を1999年から2004年まで務めていたとされる[16]。