(´・ω・`)ここはらんらんの豚小屋だよ #115

115名無しさん@Next2ch:2025/05/02(金) 23:04:12.49 ID:???

 
< △△の植民地における阿片ビジネス①

阿片と関△軍・△△陸軍の繋がり (『満州帝国史』太田尚樹著から抜粋)

http://web.archive.org/web/20210119092728/https://naotatsu-muramoto.info/nihonsinobenkyou/nixtutyuusensou/nixtusyuusensou40.html


関△軍の特務機関は、諜報、宣撫工作、作戦地域での後方攪乱、偽情報の流布、謀略工作、阿片の密売と、幅広く活動した。

関△軍の特務機関は6班で構成され、総務班、情報班、特務班、軍事班、宣伝班、政治班に分かれていた。
その活動範囲は後には南方に広がり、マレー・シンガポール作戦で活動した例もある。

特務機関員だった△△△△によると、内容を表に出せないので資料は残さなかったという。正規の機関員の下には、補助機関員や「細胞」と呼ばれる協力者がいた。

正規機関員の上級者には、関△軍の機密費から給料が支払われた。それ以外の者は満鉄から支払われたが、「ヒラでも、M鉄の部長クラスの金額が支給された」と△△△△は言う。

ハルピンや奉天などに特務機関の中心が置かれ、その下で各地に支部が置かれた。支部が置かれたのは、大連、満州里、ハイラル、牡丹江、チャムス、三河、興安、東安、豊原、綏芬河、熱河、通化、間島などだ。

ハルピン特務機関は、1940年以後は「関△軍情報部」の名称になった。
どの支部も、表の看板は「〇〇公司」のように貿易会社を装ったりしていた。機関員たちも表向きは普通の生活をしていた。

特務機関が深く関わっていたのが、阿片の売買である。満△国政府の総務長官(政府の実質的なトップ)を務めた△△△△は、「満△国は、関△軍の機密費作りの巨大な装置だった」と言う。

関△軍にとって裏金の源は阿片であり、△△陸軍全体にとっても阿片が裏金の源だった。


防衛省の防衛研究所・戦史資料室には、関東軍が1937年12月に作成した『蒙彊方面の政治指導の重要案件綴』がある。そこには△条△機・関△軍参謀長から、松井太久郎・張家口特務機関長に宛てた電文がある。

「阿片と塩の政策は、蒙彊方面の財政の捻出のため、敵側に奪われないように留意されたし」


この時の△機は、北支那方面軍の連隊を動かして、蒙彊方面で作戦を展開していた。その部隊は「△条部隊」とも呼ばれたが、「△条△機が指揮する蒙彊作戦は、阿片の栽培地を確保するためであった」と言われている。

蒙彊とは、内モンゴルと万里の長城の北側地方を指し、現在の河北省に当たる。かつては熱河省とも呼ばれた。

その地では春になると、広大な大地に白いケシの花が咲く。ケシは、初夏になると花弁が落ち、次に花びらが落ちて、青い実を付けて「ケシ坊主」になる。そのケシ坊主から白い乳状液を採るが、空気に触れると褐色のゴム状になる。

それを自然乾燥させたのが「阿片煙土」で、精製して黒色の軟膏状にになったのが「生阿片」、さらに精製して純度を高めて出来る無色の結晶が「モルヒネ」である。

1938年5月に△条△機は満州を離れ、△条にに戻って陸軍次官になったが、阿片との繋がりを続けた。それを示すのが同年10月19日付の、山△奉△・北支那方面軍参謀長から△機に宛てた電文である。


「陸軍次官 △条△機殿。 押収した阿片を天津に還送し、売却などをするも、 匪団が奪回の企図をしている。 極秘かつ迅速に処置するのが適当だ。 阿片の売却代金の用途は、△△△国・臨時政府に所属する 軍隊用の兵器購入に充てることに変更する。」     >

 


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