〓イスラム教はパキスタンの国教である。
〓イスラム法上、イスラム教徒が他宗教に改宗すること(背教=リッダ /riddah)は死刑に相当する重大な罪であり、社会的にはリンチ・殺害事件が頻発。
〓日本国内で他宗教に改宗したパキスタン人をリンチ・殺害すれば、イスラム法に基づく免責は行われず、通常の刑事事件として処理される。
〓婚前性交渉したイスラム教徒の未婚の女性を日本国内で家族や親戚がイスラム法に基づき“名誉殺人”した場合も、イスラム法に基づく免責は行われず、通常の殺人事件として処理されることになる。
〓これは西側先進国の法の支配や自由主義ブルジョア憲法の押し付けではない。
〓日本においては、それぞれ唯一絶対の神仏を信仰する仏教徒と神道崇拝者の間で行われた古代の宗教戦争や、戦前の(『悪しき東北史観』に拠って立つ)国家神道と自由主義ブルジョア憲法を奉じる連合国との間の宗教戦争などを経てシンクレティズム(多神教化)を推進し、信教の自由を保障する現行憲法レジームに落ち着いている。
〓西洋においても、ルターの宗教改革に端を発する宗教戦争がドイツ三十年戦争(1618年~1648年)でピークに達した後、ウェスト・ファリア条約が結ばれ、信教の自由を認め合う現行レジームに落ち着いている。
〓イスラム教は7世紀に興った比較的若い宗教であり、日本人や西洋人が経験したような内戦(宗教戦争)の経験が未だ無い。
〓その結果、イスラム教徒は今でも他宗教への改宗を認めない極めて不寛容な態度を取っている。
〓それは、①キリスト教を国教とした中世ゲルマン王国が、改宗に応じないユダヤ人をゲットーに押し込めたこと、②戦国時代に下克上で成り上がった徳川が『宗門人別帳』を通じて全国民に仏教を強制し、改宗に応じない西洋人を長崎・出島に押し込めたこと、或いは③20世紀に入り、日本政府(大和民族)の権力中枢に入り込んだ東北の蝦夷(えみし)が国家神道を大和民族に強制し宗教統制を実施したことなどと瓜二つである。
〓既に内戦(宗教戦争)を経験した大和民族や西洋人は、信教の自由を互いに認め合うことやシンクレティズム(多神教化)が最終的なソリューションであることに気づいているので、他宗教への改宗に寛容なだけの話なのだ。
〓因みにローマ帝国の場合、多神教化政策を実施して異教徒に信教の自由を認めたが、シンクレティズムを怠ったので帝国末期に頻発した異教徒の反乱を阻止することができなかった。
〓日本のように超長期に亘って君主制を維持するためには信教の自由を保障するのみならず、遅滞なくシンクレティズムを実施することが必要不可欠である。
右手にメノーラ、左手にカーバ神殿のミニチュアを握り締め、シスター(修道女)のベールを被ったキリスト教徒の美女。
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右手にメノーラ、左手に十字架を持ち、ヒジャブを被ったイスラム教徒の美女。
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右手に十字架、左手にカーバ神殿のミニチュアを握り締め、カシュルートのU記号の付いた紙袋を提げたユダヤ教徒の美女。
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