統計でも、むしろ俺の図形の縦横にある曲線でも色分けが分かればいいが、その線をより微細に、つまり細分化しにし、細かく人の個性を見に見れば、ど真ん中という物は至極稀有であり、人は偏差値の高い方か低い方かどちらかであることが断言できる
人の個性を見れば見るほどに
例えば、「人それぞれ」という言葉を使えば使うほどに
「で、どちら?」と
厳しくてもこれが正しいとしか言いようが無い
何せ、これに頼らなければ、この半々の概念に頼らなければ、人は容易に傾向と例外の奴隷と化す
それは、「俺は例外じゃない~!赤点じゃない~-」との数の暴力と化す
転じて俺は、その女学により、青点を見出したが
文化らしい文化の六三一でいいのならば、あの板で割と直ぐに
日本国憲法の論理
基本的人権の尊重
馬鹿等以外の言葉を使いな
とされた直後に
俺にはその色分けによって、白っぽいの?黒っぽいの?どっち?と普通に問いたい
するかしないかは不明ではあるが、それでもしたくはある
白黒付けたい
俺が間違っていれば、治したい
その狂気を、妄想を理想に
正しくありたい
単にこれだけのこと
やはり、ならばすればいいのでは
俺にはこうとしか思えない
何せ、それが成長なので
治療なので
どちら側かという問いすら禁止するのならば、悪影響を与え、狂わせるだけでしかない
いらない
関われない
それが障害者保護法
基本的人権の尊重でもある
自分の人権の尊重
全ての代表の自分の
俺はする
むしろ
間違いなくしきる