俺が原案代表らしく、音楽を聴くにしても映画を見るにしても、何でも、原案程度というのはあるかも知れない
だけれども他の表現をするのならば、不真面目と言える点
幼少期で言えば学外の学の必要性ということ
そして、今も脳内はそうかも知れない
集中する意味はあるのかと、もしくは集中しても考えることは人と違ってもいいのではないかと
ゆえに結果が覚えていない、分かっていないなどということはざらにある
それでも人より上手く歌えて、人より上手く物語を作れる
俺が原案代表らしく、音楽を聴くにしても映画を見るにしても、何でも、原案程度というのはあるかも知れない
だけれども他の表現をするのならば、不真面目と言える点
幼少期で言えば学外の学の必要性ということ
そして、今も脳内はそうかも知れない
集中する意味はあるのかと、もしくは集中しても考えることは人と違ってもいいのではないかと
ゆえに結果が覚えていない、分かっていないなどということはざらにある
それでも人より上手く歌えて、人より上手く物語を作れる
論法として、「証拠は?」が流行っているのか、定着しているのかも知れない
ならば、「こちらが間違っている証拠は?」となり、相手は馬鹿にしだし…と
つまり、単にどちらも論理性に自信を持ったいるだけであり、意味など無く…と
俺からすれば、平等に考えれば、これによりせめてどっちもどっちと、どっちなんでしょうねということではあるが
そして、こちらの論理性や証拠と言える物を馬鹿にする様からも、相手が間違っていることは定かであってと
第三者はこちらに付けますか?
証拠はー?証拠はー?と煩い方々の気が知れません
それを言い出せばどっちもどっちであって、それなのに自分が正しい気になる、勝った気になるという、勝ったでもいいがそれならば強いだけでしかないという、こちらが教育できないほどに頭が悪いだけでしか無い可能性もあるという
ここまで考える人の少なさが気になるという
少なくなければいいのですが
こんな考えを全て公開したとして、人は俺に付けますか?
どちらですか?
半々ですか?
この点が悲しいです
俺からすれば「証拠」という言葉選びからして意味が分かりません
論拠とされても同じですが
普通に聞くことすらできないの?と
論拠は時々使いますが、それは分かった上でのことなので