学者に助言すると…
単に説得力を高めればいいということ
虐めてるんじゃなくて鍛えてるんだと言われても、俺に酷いから俺は発狂していた
その酷さは決して仲間の、外部取引先と社員の厳しさで鍛えるものではなく、虐めの物
ならばどうすればよかったか
重症化は間違いということを、それを信じ、優しくしているからこそ善良なつもりの俺を、言わば立てつつ、教えれば良かったということ
まさか俺が間違ったから学者が間違ったとは言えない
それならば学者なんかがいたから俺も間違ったとした方が正しい
まさか俺の責任では無いということ
原因としても何でも同じ
俺に負担があれば同じ
俺は負担で、むしろちょっとの負担でも、狂うので
酷くされなければこんなふうにまともに教えられる
酷くされるから酷いだけ
悪くされて発狂してるだけ
だから無罪放免が世界一成り立つ
その方々の、俺に酷い方々の責任ということ
自覚は馬鹿にはできないが、できれば馬鹿で無いとも言えない
自覚できても酷い人は酷いから
俺の治療とともに直ってきている人もいるとは思うが
「それは分かったがこれは…」が増えているのでは