この応用として、転調も「私を上げるわ」と最後に来たらさすがに分かるが、それも言われて読んだからかも知れない
そうでもなければ最後に良かったのかと、好転したなと、悲劇ではなく喜劇の方かと
こんな感想を持つくらい
音程として捉えるのは未だに無理
それはカラオケバーを見ながら歌っても非常に困難
頭が常々他だからだと思う
逆に、最後に明るくと言って転調と通じない作曲家がいない
極明るくと言えば半音で無く一応音以上などと伝わらなくない
俺はそちら側
化学の用語を何も知らずに当てられることと一緒
後は覚えるかどうか
基本は覚えない
簡単には、学校の試験でも何でも無いのに覚える必要など全くないから
ドラマの物語をちゃんと理解してい楽しむ必要が無いことと同じ
その必要が無い
意味が無い
人が無意味に頭を使っているとさえ言えるほどのこと
実際になったそれらの理解がありつつ俺に理解はあるのかと問える
この意味では人など無意味
少なくとも、俺が物語をちゃんと理解することなど稀と、つまり、無意味なことをすることなど稀ということを悪く言う奴においてはこう
楽しみたい分だけで充分では
例えばそれはもっと短く容易いはずの歌詞においても同じ
何通りも意味の読み取り方があり、人それぞれ自由では
本当の意味など無い人が大半では
平井対の男で言えば、根源は俺の妄想に因るところとしている
別にそこまでクィアだけのことでも無いのに
それもあるが無く他のことでも理解できるのに
単にその点からの解釈があるだけなのに
少なくとも俺はそんなに意識などしていないのに
何でもいいが、迷惑なので
まるで妄想で無く真実なのにそれを隠そうとしているかの如く、そううるさいので
俺がすれば知能勢がそう
自信が悪趣味であったことを隠す投影だとは思うが
つまり、音楽でも漫画でも何でも、大抵において俺は捉え方が違う
どうでもいいところをバッサリと切り捨てる
明くまでもその上で創造する
まあ、もう悪い人の理解の無さを何とかしようとしなくていいと思うが
馬鹿が終わることを防ごうとすることと同じ
ただし馬鹿なので警察の対象
ゆえに説得するしかない
その時の助力になればということ