音感で言っても個性が強い気がする
単に自分に細かいだけかも知れないが
歌われた歌は、その音程を真似て歌える
だけれどもそれが高いか低いかなど歌うまではほぼ分からない
そして、
ドレミファソラシシは
ドレミファソラシラとでも間違いうる
明くまでも頭で
喉では正しい
例えばこんな所で頭が悪いなどと言われても、その頭が関わらないので間違っても問題なく、正しいほうが無駄な労力のため頭が悪いとさえ言い返せる
質で無いということ
どうでもいい点だが
聞いて、転調されていればそう歌う
ただし覚えてなどいない
歌ったのならば、当たっているだろうが、物によっては転調していると分かるだけでしかない
分からないものは分からないのか、分かるものは分かるのか、半々か
確率的に半々とされそうではあるが、そんなもの頭脳派御用達の割合によるだけのこと
合わされて一、六、三などとされてもどちらがどちらか分からない
半々との三分割を等分にもできる
たしか一度、知能勢と組んでしまおうと、上位と下位をさして五十パーセントになるように計算していたこともある
頭より喉と言えるが、頭が悪いとの頭が悪い反論がありそうなので、耳より喉とでも言えなくない
頭で正しい意味が分からない
楽器を習う予定など無かった
人にも無くない、俺で言えばサックスとハーモニカへの憧れがなくなかったらくらい
今もカンカラ三線をかったが調律できず、調律を急ぐでもなく放置しっぱなし
覚える必要が無ければ覚えず、考える必要が無ければ考えない
情報機器一つ
あとは誰かに聴けばいい
これの頭が悪いとは思えない
歌われた歌を歌うと、後からこれは高かったのかなどと気付くことも多い
もともも低かったのかということが多いがそういうことで無く、高くされていたのかと
多分、高い方で歌っている
合わせているということ
頭が悪く耳と喉がいい
この方が分かりやすいが、本当は頭が悪い気もしない
使う必要が無いので
温存し他に使う方が効率的
その頭で多数の成功者を統率し寄付し続けている今、反論できる人などいないと考えられる
捨てる問題を捨てる試験のうまさに似ている
一日の勉強で難問は勉強すらせず他だけで単位を取ったことに似ている
頭が悪い気はしない
どうでもいい点ではあるが
とにかく、個性が強い気はする
歌われた歌はその音程を真似て歌えるなどと言っても、一曲丸々覚えることなど稀か未だに無いか
音叉で何とかなる程度だとは思う
音叉を使うならばせめて記憶だけでもと言えるが
カラオケでは表示され、いつでも検索できるこの時代に、記憶
記憶力を鍛えるなどと言われても、長期記憶が勿体ないと論破できてしまう
温存して悪いとは思えない
大勢の前で歌うなどとなれば別ではあるが、そんな話も何も無い
技術は少しはあるほう
記憶力は無く、頭では他のこと
耳と喉だけか喉だけ
他も全部こんなことでは