例えば十七年周期説においても、俺の二千十七年度からの発狂が来るとしても、まずそれ自体が穏やかになっている可能性と、それでも来なくないことをこう予期できていて、落ち込みを先取りできることから、特に鬱病と言うほどの物ではないと考えられる
されよりも六年後辺り
人生のど真ん中と予想できる頃
まずそれが正しいのかは知らないので、何度でも全体的に苛つきなどが増していっているのかを自分でも仲間の客観を聴いてでも捉え直してみるが
言うほどに問題が起こる気がしない
無論、人生の正念場とでも言えばいいのか、大きいこと自体はあるが
それでもそれはまた意味が違う
例えば婚約や結婚、出産などはそうとは取れる
ただし全く意味が違う物
基本的には幸せ
不幸と隣り合わせではあることと、実際に様々な不幸が考えられなくないが、それならばそれをこう予期できていていなくないので、耐えられなくない
しかも間違いかも知れない
YURIさんと仲良くなった頃、仲良くなて数年なのか、夫婦になっているのかその頃に難しさが無くはないと思う
こう予期できていることと、仲間がいること、警察も使えることが挙げられるが