凄く簡単に「弱い者いじめ」では
分からないのは頭が悪いのでは
頭がいいからこうでないと言えるのではなく、頭が悪いから間違いに間違って、そのあまりの間違いの多さに、この正しさが分からないのでは
俺には間違いが多いからそれら全てを論破することが難しく、正しさが分からないと思えてしまいます
知識の量と論理の質では
俺に優しければ難民と先人の尊重も最初からできたのでは
凄く簡単に「弱い者いじめ」では
分からないのは頭が悪いのでは
頭がいいからこうでないと言えるのではなく、頭が悪いから間違いに間違って、そのあまりの間違いの多さに、この正しさが分からないのでは
俺には間違いが多いからそれら全てを論破することが難しく、正しさが分からないと思えてしまいます
知識の量と論理の質では
俺に優しければ難民と先人の尊重も最初からできたのでは
できる限り人がいりません
人の価値が分かりません
全員で俺を虐待して、全員で俺に責任転嫁かというほどです
本当に全員でなくて良かったとは思いますが
最初から俺に優しければ、難民と先人の尊重をできた
これのみならず、天才は天才を知るとも繋がれた
それは単にに金の客贔屓で無く、単に平和だった
俺に酷かったからこそ遅れたのでは
俺の記憶が確かならば、「お疲れ様です」との一言に二重敬語だからと怒られたことがある
しかもそれは最初に、「喧嘩売ってんのか?」だったか何か言われて
それでは人生は好転しない
間違いなく終わる
行間や字間を読むことがあまりにもできていない
例えば、難民と先人の尊重が、俺を虐待していたから分からなかったと分からない
分かっていても、俺を虐待すれば因果応報で終わると、難民と先人の尊重も実はできていないので終わると分からない
分かっていても、直す方法論が分からない
この三点でも悪い人は頭が悪いと論証できるのでは
俺は時間や質の特定から論証はしないが論証材料ならいくらでも挙げられる
石森対はまだ自分らが悪と分かっていなくないので、高瀬対を説得する
転じて悪いと分かっていたらしてはいけないと、しない方がいいと、しない、せずにすむ方法論を高瀬対が石森対に教える
無論、他の誰かがしてもいいが、例えばこう
こんなふうに悪の界隈でも説得させあい直させあう
これで少しでも仲違いを改善する
被害も無くす
才気を増やす
寄付を増やす
生存を、平和を増やす
例えばこんな方法でも何でも増やしきる
ちゃんと満帆で死ぬ
幸せに死ぬ
人々は俺に優しくしないと議論討論等々でただただ馬鹿笑い、大声、怒鳴り声、大間違い、大泣き等々おかしくなる
苫米地英人氏でも誰でもそう
俺と友梨奈さんなどなどは例外枠
それはただただダサいもの
可愛くもカッコよくも何ともないもの
本人も恥ずかしくて仕方がない
なので直すしかない
直す
直しきる
平和になる