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32東北の蝦夷にマインド・コントロールされた自称『国粋主義者』:2025/09/27(土) 11:25:20.08 ID:3bPh607J

『山形 鶴岡 2025年9月20日(土)のクマ駆除 市の判断で市街地発砲許可 全国初』



>山形 鶴岡 2025年9月20日(土)のクマ駆除 市の判断で市街地発砲許可 全国初
2025年9月22日(月) 19時38分 NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250922/k10014929791000.html
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〓1868年の戊辰戦争に際して、天皇を戴く大和民族の官軍に対して最も激しく反抗したのが、東北の蝦夷(えみし)から成る奥羽越列藩同盟の中核となり徳川の残党である松平容保に率いられた会津藩と、酒井玄蕃に率いられた庄内藩であった。

〓松平信康と築山殿を自害に追い込んだと言われる酒井忠次を祖とする庄内藩。

〓西暦817年~821年の『三一権実争論』において法相宗の徳一国師から『無性』(根っからの無法者)の烙印を押された東北の蝦夷(えみし)。

〓藤原摂関家が帰依する法相宗の徳一国師から『説法による善導が難しい』と判断された東北の蝦夷(えみし)は、古代から藤原摂関家と密接な関係を維持する清和源氏(河内源氏の源頼義と源八幡太郎義家、鎌倉将軍、室町将軍)による討伐対象だった。

〓清和源氏を仮冒した徳川家康はじめ徳川秀忠、徳川家光は、会津出身の怪僧 南光坊天海(天台宗)に丸め込まれて会津の蝦夷(えみし)討伐を中止し、結局 『征夷大将軍』を名乗りながら幕末まで一度も蝦夷(えみし)討伐を行わなかった。

〓これは明らかな職務懈怠である。

〓更に、後醍醐天皇によって鎮守府将軍に任命されながら職務を懈怠し、逆に東北の蝦夷(えみし)を率いて繰り返し畿内に攻め込み、大和朝廷の天皇や藤原摂関家に弓引いた北畠顕家や北畠親房の『神皇正統記』を受け売りした水戸の徳川斉昭や藤田東湖は大覚寺統正統論を唱え、あまつさえ「徳川将軍が真に討伐すべきは西洋列強なり」と言わんばかりに『尊皇攘夷』を打ち上げた。

〓会津出身の東北の蝦夷(えみし)である天台僧 南光坊天海に丸め込まれ蝦夷討伐という征夷大将軍の職務を懈怠した徳川は、その一方で自分達が言い出した西洋列強を打ち払う『尊皇攘夷』も成し遂げられずに不平等条約を締結し、あっさり大政奉還して滅亡した。

〓挙げ句の果ては蝦夷(えみし)討伐も『尊皇攘夷』も懈怠した自らの所業を棚に上げて、『徳川260年の天下泰平を維持した』などと嘯く有り様だった。

〓20世紀に入ると、ユダヤ人解放政策を含む法の支配や自由主義ブルジョア憲法を共有しない少数民族(マイノリティー)や後進国民を、近代市民国家、すなわち先進国民と平等に扱えと主張する危険で無責任なプロパガンダを垂れ流すリベラル左派の偽善者、すなわちマルクス共産主義者が世界中を跳梁跋扈するようになった。

〓リベラル左派の偽善者に背中を押された根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)が大和民族の政権中枢に入り込むようになると、案の定、大暴走して満洲事変を引き起こしたかと思えば、憲兵隊を濫用して強引に狂人ヒットラーのナチ党と反米・極右軍事同盟を結び、無謀な太平洋戦争に突入して行った。

〓第二次世界大戦で日本国民に塗炭の苦しみを与えた蛮族たる東北の蝦夷(えみし)の多くは極東国際軍事裁判に掛けられ処刑されたが、その後 東西冷戦で息を吹き返した東北の蝦夷(えみし)の残党は自衛隊の中枢に入り込み、板垣征四郎や石原莞爾の率いた関東軍の暴走(1931年の満洲事変)や、狂人ヒットラーのナチ党との反米・極右軍事同盟締結を強行した東条英機が突き進んだ無謀な太平洋戦争を正当化する論文を発表(=現役の航空幕僚長だった田母神俊雄)、それを渡部昇一など東北の蝦夷(えみし)が仲間内でヨイショする相も変わら


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