【ムビステはぱくり?松本考案神話の嘘③】
●少クラ(2008/02/17)
国○「ムービングステージを一番最初にやったのは嵐?」
松本「これは作りましたね」
国○「すごい発想だよね、誰も考えなかったもん」
●POTATO(2006年8月号)
2メン「去年、ムービングステージなるものを考えて…。ねぇ、松本くん?」
松本「そうだよ!あれはオレたちが考案した装置!
でも、知らない間にいろんな人が使ってて、ちょっとどうなの!?(笑)ねぇ、2くん?」
2メン「ねぇ(笑)。このDVDにはオレらが初めて使ったこのステージが映像として残ってるから、
DVDを出せた意味もあってよかった。」
4メン「確か、去年のカウントダウンでも使ったよね(笑)。
まぁ、ステージでも装置でも使いたいなら誰でも使えば(笑)。
だって、オレらも先輩の曲を歌わせてもらってるわけだし(笑)」
松本「みんなが使いたいくらいすごい装置だったってことでOKにしよう(笑)」
3メン「あぁ、焦った。松本くんがマジで怒ってるかと思ったよ(笑)
●嵐 SUMMER TOUR 2006 ARASHIC(ツアーパンフ 松本のインタビューより)
初日、大阪城ホールは、ムービングステージを使えるか使えないかの瀬戸際だったんだ。
大阪城ホールさんには本当に申し訳ないけど、無理くりですよ。向こうは「無理です!」って
言ってるのに「とりあえず組み立てるから見てください!」ってお願いしてさ。監視員さんたちが
見守る中で、組んでみて「全然危なくないですよ」って、俺らが上に立った状態でマイク通して伝えて。
初日の大阪城ホールがNOになった場合、ほかの会場も全部NOになる…そういう状態で。
そこは本番を迎える最後の最後までモメてたし、もしダメだった場合は腹を括ろうって話を
ずっとしてきたから。大阪城ホールの人も府行政の人たちも「いいですよ」と言ってくれて、
それでできたって運びだったの(以下略)